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川村 岳斉木 和洋演出ノート

燦燦と淡淡と/2016.3

お金がないとはいえ、飢え死にしない程度には食べられるし、家に帰れば、温かい布団が待っていて、新しいiPhoneが発売されれば、きっと買い換える。この国はとても豊かで、平和なものなんだろう。それでも、ぼくたちの内側には、とても混乱していて、暴力的な世界がある。
そして、それに耐えられず、次の朝が迎えられないことだってある。

思っていることを他人に伝えてみると、思っているようには受け止めてもらえず、自分の耳に聞こえてくる言葉も、なんだか空々しく感じる。考えていることをノートに書いてみても、自分から出たものだと思えない。それならばと、ひとりいろいろと考えてみても、やっぱりそれが自分のもののような気がしない。そんなことがよくあって、傷つき、疲れ、不安のなかで、暗闇の底にいるように思えてくる。そんな、深夜の時間に、自分の内側の世界にずぶずぶと落ち込んでいくひとたちがきっとたくさんいて、ずぶずぶと落ち込んだ先で、同じように病みつかれたひとたちと出会えるのだと思った。人間の内側には井戸のようなものがあって、その底の底まで潜っていくと、そこでは、他のひとたちと横穴で繋がっていて、日の光が当たらないその場所で、孤独を抱えたひとたちと出会えるのだと思った。

今回のお話は、現象的にひきこもっているひとりの男が、精神的にも、自分の内面の奥底にひきこもっていって、同じような苦しみのなかでもがいているひとたちと出会う物語です。

物語と言いましたが、今回のお芝居にもともと台本はありませんでした。ひとつひとつの短いシーンは、研修生たちが作ったもので、それをもとに稽古場で日々、創作し、その姿かたちは毎日のように変わっていきました。その果てに、最終的に出来上がったものが、これからご覧いただく作品です。短いシーンが連続する構成演劇のスタイルをとっています。少し見慣れないかもしれませんが、想像力を少しだけ広げていただけると幸いです。

燦燦とおひさまが輝く昼の時間の裏側で、怪しげなものが淡淡と育つ。
淡淡と続く退屈で死にそうになる日々の果て、夜の怪物が空に向かってとびだし、燦燦とぼくらを照らす。

本日は、ご来場くださり、誠にありがとうございます。ごゆっくりご覧ください。

構成・演出 斉木和洋

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春先、研修生達は希望に満ちた目をキラキラさせていた。「これから一年、どんなワクワクが待っているのだろう。」と。

稽古の初日、ガイダンスの中で私は研修生にこう言った。
「稽古場は学校ではありません。教わる前に自分で進んで学び、大いに失敗しなさい。健闘を祈ります。」

時が経ち、ワクワクはあったのでしょうか。ヘトヘトやクヨクヨばかりではなかったろうか。出来ると思っていたことが出来なかったり、
もっとやれば良かったと悔やむ帰り道ではなかったろうか。

本番までの長い稽古期間を共に過ごし、ゲッソリやつれていく彼らを見ていると「やっと生き生きしてきたな。」と感じる。
以前は明るく挨拶してきたのに、今や妙に無愛想になってきた。
おや、見慣れた顔が見たことの無い表情をするようになってきた… よしよし。

ヘタレな自分やダメな自分、格好良い自分全て含めて俳優の武器になる。武器が見つかれば次は磨けば良い、ピカピカに。
どうか研修期間が彼らにとって辛くも実りある時間だったら幸いです。

その集大成が間もなく始まります。本日はご来場ありがとうございます。

研修プログラム統括 川村 岳

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