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コラム
カルチャーポケット安田雅弘
大阪の演劇にとって、とってもマズイことが進んでいるようです。
扇町ミュージアムスクエア(OMS)、近鉄劇場、小劇場の3劇場がなくなるそうですね。
これはヤバイです。
OMSと近鉄小劇場は以前、私たちのカンパニーが大阪公演した際にも大変お世話になった、いわば大阪を代表する劇場です。これから大阪以外の地域の小劇団が公演をする場合は、どこを使うのでしょうか? 何より、大阪周辺で活動する集団は、どこを発表の場としていくのでしょうか?
もちろん、ほかにも小屋はあるでしょうし、大阪の方々も手をこまねいているわけではないでしょう。すでに新たな動きが起こっているのかもしれません。
ただ、この事態はとんでもないこと、という感覚を一般の方々と共有できないことが、残念です。
「商売にならないんだから、仕方ないよ」
これが大方の感想でしょう。
一見、正論です。しかし、日本の演劇シーンは、商売になる、ならないを議論する以前の状況です。
たとえば、日本が世界に誇る自動車にしても、電気製品にしても、産業創立のはじめっから「商売」になっていたわけではありません。「安かろう、悪かろう」と海外から蔑視されながらも、関わっていた方々の並々ならぬ努力と、国がその産業を保護し、育成してきたからこそ、世界に冠たる産業に発展してきた経緯があります。結果として、日本人は、自動車や電気製品にすぐれて理解のある国民として尊敬されるようになりました。
では演劇はどうか? 日本は舞台芸術に理解のある国として尊敬されているでしょうか?
答えはノーです。
また、今後それを望んでいるのでしょうか?
私は望んでいますが、今のままではムリでしょう。
では、そうなることは「商売」につながらないのでしょうか?
そんなことはない、「商売」になると思います。
日本人は世界を見渡しても、また歴史的に見ても、潜在的には、きわめて演劇的センスの豊かな国民です。能・狂言や歌舞伎のように特殊で高度な様式をもった演劇を作り出し、現役で継承している国はほかにありません。大阪が本場の文楽という人形劇のレベルの高さと、オリジナリティは十分世界に誇っていけるものです。あんなお芝居を考えついた人たちは、世界にはいないんです。
ところがその子孫である私たちは、演劇的な教養に触れる機会が非常に乏しい。
「今日は時間もあるし、芝居でも見るか」と考える人はわずかですし、舞台を通じて、現代社会の問題を考えていこうという機会もほとんどありません。演劇にそうした機能があることさえ、知られていないと思います。第一、演劇を作ろうと思ったときに、何からどのように始めればいいのか見当がつかない。
先進国の中では特別と言えるほど演劇教育のレベルが低いのが実情です。先日ドイツのある劇場の文芸部長と演出家に話を聞きました。人口20万足らずの都市に専属俳優・スタッフ100人という劇場が2つあり、それはそんなに珍しいことではないそうです。運営は自治体がおこなっています。
今年の夏から秋にかけて、ピナ・バウシュ、ペーター・シュタイン、ベルリナー・アンサンブルと立て続けにドイツの舞台芸術カンパニーや演出家による来日公演がありました。自動車ほどの規模ではないにせよ、立派な輸出産業です。しかも、それらはメカとは違う部分で、その国の歴史性や、精神性を雄弁に伝えることができます。
そうしたコミュニケーションを可能とする教養を世間一般に広げていく上で、市民劇は有効であると私は考えています。
準備のワークショップが間もなく始まります。
※ カルチャーポケット 2002年11-12月号 掲載
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【カルチャーポケット】
1999年8月から約5年半の間、大阪市文化振興事業実行委員会より発行されたフリーペーパー。通称c/p。