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カルチャーポケット安田雅弘

【市民劇をつくる10】演劇はお葬式に似ている/2003.11-12

【市民劇をつくる10】演劇はお葬式に似ている。 2003.11-12(表紙)

【市民劇をつくる10】演劇はお葬式に似ている。 2003.11-12

 まずは、悲劇と喜劇のはなしから。

 この二つの違いはどこにあるのか。

 悲劇は、なにか悲しいできごとが起こる芝居。喜劇は、ハッピーエンドのやつ。

 こんな具合かな。実は私も最近までそう思っていた。

 おおまかには間違っていない。ただ、これだけだと、世の中になぜ「悲劇」なんてものがあるのか、わかりにくい。というか、まったくわからない。人生思い通りにならずイライラしたり、ツラかったりすることばかりなのに、なぜその上「悲しいできごと」を見に、わざわざ劇場へ足を運ばなければならないのか。

 ちなみに「悲劇」を広辞苑でひいてみると、「人生の重大な不幸・悲惨を題材とし、死・破滅・敗北・苦悩などに終る劇。矛盾・対立・葛藤の動的な展開から破局に至り、悲壮美を呼び起すもの」わかるようなわからないような…さいごの「悲壮美」とはなんぞや? 「悲しさとともに崇高さを伴う美」とあって、ついでに「崇高」とは、「けだかく偉大なこと。普通の程度をはるかに超えて驚異・畏敬・偉大・悲壮などの感を与えるさま」とある。

 つまり悲劇とは「とてもビッグな哀しみ」。中原中也風にいうならば「汚れちまってない哀しみ」。そうか、中也は日常における崇高となりえない哀しみを崇高に表現したんだ!

 それはいい。悲劇である。私はいま、こんなふうに考えている。人間社会や人生を俯瞰の視点から猫いたものを悲劇、同じ視線でながめたものを喜劇と。俯瞰というのは、高いところから全体を見ること。

 はなしは変わる。二十年ほど前、大学時代に先輩が亡くなった。

 とても仲のよかった先輩で、将来を嘱望された俳優でもあった。今でこそ小劇場出身の俳優がテレビに出るのは珍しくも何ともないが、その当時、彼の芝居を見に、テレビや商業演劇のプロデューサーが劇場に来るというのは、彼の一挙一動だけでなく、私たちの稽古場までがまぶしくなるような大事件だった。その彼が亡くなった。交通事故だった。

 電話であっけない死を知って、それから通夜があって葬式があって、その間、私たちの仲間はやることはやるけれども、どこか呆然としていた。人生とは何だろう、生きるってどういうことなのか。ことあるごとに、私たちは話しあい、話してもどうにもならないと知ると、沈黙を共有した。そうした状況からぬけだすのに半年ほどかかっただろうか。

 今考えると、これが「悲劇の意味」なのではないか、と思う。

 私たちは日々、生きるのに必死である。つまり、眠たいとか、うまいものが食いたいとか、おっイイ女とか、うるさい上司にチクショーとか、ライバルを出し抜いてザマミロとか、ヤバイ遅刻するぅとか、ふぅ間に合ったといったことに忙殺されている。たまに頭をよぎることはあっても、一体オレの人生って何だろう、といったことに真剣に向き合うことはめったにない。というか、まったくない。

 私たちは、長い人類史のほんの一部分でしかない、現存する人類の一員にすぎない、宇宙という膨大な大河では一滴にも満たない。ときどきそうした視点を持たないと、人間は思い上がる。私が言うのではない。2500年も前のギリシア人が考えたことだ。進行をつづける環境破壊や、解決のつかない国際紛争のかずかず。築き上げた文明の結果として、その思い上がりをいましめる必要があることを、彼らは知っていた。そこで年に一度、「悲劇」を見るために劇場へ集まることを義務とした。そこで上演されたのが「オイディプス王」「バッコスの信女」「メデイア」「エレクトラ」「トロイアの女」…題名を聞いたことくらいはあるかもしれない。

 料金は無料。俳優たちのギャラは金持ちが順送りで負担した。彼らは、ふだん怠けている自分たちの代わりに「人生」や「人間社会」について考えつづけてくれている俳優を大切にしたのである。ただの思いつきではなく、それが社会のシステムとしてつづいていたことを考えると、古代ギリシアの冷徹なまでの人間観には身震いがする。

 私たちには「悲劇」が足りていないように思う。

 そうそう。どこが葬式に似てるのかだったが、紙幅が尽きた。次回つづけることにする。

※ カルチャーポケット 2003年11-12月号 掲載

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【カルチャーポケット】
1999年8月から約5年半の間、大阪市文化振興事業実行委員会より発行されたフリーペーパー。通称c/p。

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