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カルチャーポケット安田雅弘

【市民劇をつくる11】演劇はお葬式に似ている2(能楽チョキチョキ)/2004.1-2

【市民劇をつくる11】演劇はお葬式に似ている2(能楽チョキチョキ)。 2004.1-2(表紙)【市民劇をつくる11】演劇はお葬式に似ている2(能楽チョキチョキ)。 2004.1-2

 演劇の中に悲劇と呼ばれるジャンルがある。これがお葬式に似ている。

 私の見た芝居の中でも、特に記憶に残っている悲劇のはなしをしよう。

 それは能だった。2本ある。「箙(えびら)」と「融(とおる)」という作品だ。

 簡単に説明しておくと、箙というのは矢を入れて携帯する武具のこと。鎧をつけた武士が背負っているのを絵や写真で見たことがあるかもしれない。源平の頃、生田の森の戦いで、梶原景季(かげすえ)が箙に梅の枝をさして奮戦した故事をもとにつくられた作品である。

 能というのは、とってもおおざっぱにいうと、幽霊が出てくるお芝居だ。梶原景季の幽霊が、自分の奮戦ぶりを、通りかかったお坊さんにかたる。景季を演じるのはシテ方と呼ばれる俳優さんだが、残念ながらその人の名前は忘れてしまったものの、かなり年配の能楽師だったと思う。しかし、私はその演技を見て、本当に鎌倉時代に生きていた若武士に出会ったような錯覚に襲われた。これはとても不思議な、そして幸福な瞬間だった。テレビや映画で源平の合戦が描かれることはある。読者の皆さんも見たことがあると思う。そうしたものとはまったく違う。タイムマシンで、鎌倉武者がポンと舞台に出てきたような衝撃だった。ナマのサムライがそこで呼吸している感じ。何だこれは? びっくりして、次の瞬間、能の何たるかをつかんだような気がした。これだったんだ! と叫び出したくなるような体験だった。

 もう一本の「融」。これには平安時代の貴族、源融(みなもとのとおる)の幽霊が出てくる。この人は六条河原に壮麗な邸宅をもっていた。しかし、その死後は、誰も継ぐ者がなく、庭は荒れ果ててしまっている。ここでも通りかかったお坊さんを前に、源融がありし日の姿で出てきて舞を舞ってみせる。融の大臣(おとど)が出てきて、客席を見るシーンがある。客席は庭に見立てられていて、私たちは庭の石や植木や池の鯉になったような気分になるのだが、この瞬間やはり平安時代の貴族がそこに立っているような感慨に襲われた。その俳優さんを中心として、サーッとその周囲が平安時代になったような、言葉にするとウソくさいが、その場で能に接しているとその感覚はホンモノなのだ。

 もちろんすべての能でそのように感じるわけではない。私の場合、教養も経験も十分ではないから、九割以上の作品はただただ退屈だったりする。けれども、その出来事があって以来、能の表現の魔術に取りつかれてしまったのもまた事実だ。

 悲劇にはすべからく、そうした機能があるのではないかと思う。能だけでなく、ギリシア悲劇にも、もちろんシェイクスピアの四大悲劇にも、その後書かれた幾多の作品にも。つまり幽霊に出会ったような感覚を持たせることができるということだ。主人公の霊を呼び出すことが可能な構造をもっているといい換えてもよい。それに成功したとき、その作品は見た者にとって忘れ難い体験となる。

 お葬式もそうだ。本当に心のこもったお葬式では、多くの参列者の口からその人のことが語られ、思い出される。あたかもその人が幽霊として出てきたような、その場で再び生き始めるような錯覚にとらわれる。

 もちろん日々の暮らしの中で、私たちのそうした記憶は薄らいでいく。それゆえ悲劇が再演を重ねるのと同じように、何回忌法要というような形で、私たちはその人の記憶をときどき復元するわけだ。

 この鎮魂にはどのような意味があるのだろう。前回も書いたように、人間は悲劇に接する機会を失うと思い上がる生き物なのである。お葬式や法事で亡くなった人の霊前やお墓に手を合わせたとき、私たちは、その人のことを思い出すとともに、その人と過ごした時間を思い出し、その当時の自分を思い出す。そして感謝したり、現在の自分を反省したりする。すなわち謙虚になる。

 私は鎌倉時代のことも、平安時代のことも知らない。知り合いもいない。けれどもすぐれた悲劇に接すると、その時代のことに思いを馳せる。それはまぎれもなく私たちの先祖が過ごしてきた時間なのだと感じる。そうした時間を積み重ねて現在の自分があるのだと思わずにはいられなくなる。今私が生きているということは、生物としての私が生きているということだけではない。過去があり、いろいろな人や時代があって、さまざまな記憶の堆積の上に自分が立っているのだと思い知らされる。つまり、現在を見つめる視線が、より複雑になる。それが悲劇の意味であり、文化的に豊かになることだと思う。

※ カルチャーポケット 2004年1-2月号 掲載

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【カルチャーポケット】
1999年8月から約5年半の間、大阪市文化振興事業実行委員会より発行されたフリーペーパー。通称c/p。

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