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安田雅弘演劇の正しい作り方

【演劇の正しい作り方⑩】早大劇研「製・管分離」システム(体育としての演劇2)/95年12月号

演劇の正しい作り方10/95年12月号

 説明会を聞きにいくと、入会の手続きなどないから、やる気があるなら明日からでもおいでよ、といわれた。
 翌日行くと、いきなり走らされる。
 ランニングからはじまるトレーニングは昼から夕方まで毎日あって、3人の演出家が日がわりで基礎訓練をみてくれる。
 夕方からは作業の手伝いをする。その日は装置づくり、次の日は小道具さがし、ほかに照明をつくりこんだり、たたみと平台をつかった客席づくり、看板書きなど連日さまざまな作業がある。
 夜10時には帰る。
 男子はテント番のため、10日に1、2回ほど泊まる。不埒な連中が夜中しのびこんで装置をこわしたり盗んだりしないように、先輩と組になって交代で番をするのだ。泊まった翌日の昼食は女子が差し入れてくれる。
 次の日、おきるとガリ版で刷ったチラシとハンドマイクを持って公演の宣伝にでかけ、もどるとすぐにトレーニングがはじまる。
 新人はそんな生活のくりかえしだ。

 「演劇」を「体育」としてとらえる視点は大学の演劇研究会(劇研)でつちかわれた。演劇は「発声」や「台本」からではなく、まず「走り」そして「作業」をすることから始まるとおそわった。
 だけでなく、今まで書いてきたこと、これから書こうと思っていることはほとんどすべて劇研で学んだものだ。
 劇研について一度ふれておきたい。
 「製作・管理分離」システムについてはなそうと思う。

 大学の劇研で「製作」と「管理」が明確に「分離」しているところはほとんどないのではなかろうか。
 「製作」とは演劇を作ることで、
 「管理」とは機材やけいこ場の運営・維持のことだ。
 何のこっちゃ?
 と思うだろうが、たいていの劇研は劇団が一つで、そこが「製作」も「管理」も兼ねている。だからそれを「分離」するといわれてもピンとこないだろう。
 しかし、それらを「分離」すると組織はとても機能的に、また大きくなる。
 そのわけをはなそう。
 「分離」することで、一つの劇研の中に劇団が複数存在しやすくなるのだ。
 以前ふれたように、10人いれば理想の演劇の姿は10個ある。全員を一つの形に押し込むことは無理な注文だ。
 おおよそはこんなことがくりかえされる。

 ある劇研にAという劇団がある。
 そこにbくんという新人が入ってきて、A劇団にはついていけないと思ったとする。ぜひともBという劇団を作りたいと考える。
 けれども、人数の上でも実績の上でも、ためしにB劇団でやろうという人よりA劇団でいいという人の方が多い。そのためB劇団を作ることはできず、bくんはしぶしぶA劇団の公演に参加する。やがてA劇団のメンバーが卒業し、bくんが台本を書くことになる。かくして、まったく毛色の違うBという劇団がその劇研の実体になる。
 そこにB劇団ではついていけないcさんという新人が入ってくる。
 または・・・
 bくんが短気だった場合、その劇研を飛び出して(おそらくほとんどノウハウのない)仲間たちとB劇団を結成するかもしれない。

 どっちにしても悲劇の質はあまり変わらない気がする。
 〈組織としての能率がひどく悪い〉
 「分離」していればA劇団を残しながら、B劇団も発足できるかもしれないのだ。
 A劇団がたまたま専用のけいこ場を持っていても、一年中使うわけではない。2劇団で使い分ければいい。照明・音響機材にしても同じだ。資源の有効活用、人数も倍になる。
 また、こういうこともある。
 劇研に一劇団しかない場合、まったく毛色の違う劇団に世代交代すると、A劇団ののこした演劇的な成果(遺産)がB劇団に反映しない。bくんには意味のないA劇団の遺産もあとのcさんにはとっても意味のあるものかもしれない。それがのこらない。
 もしbくんが劇研以外でB劇団をつくった場合、お芝居をつくる以外の(たとえばけいこ場の確保といった)仕事を一から始めなければならない。すごいロスだ。
 演劇ってのは残念ながらのこらない。けれども方法は伝えていくことができる。これが集団創作のメリットだと思う。そういう視点から見ると、もったいないことが多すぎる。

 当時、早大劇研には3つの劇団が共存していた。15年前のはなしである。
 お芝居は各劇団が「製作」し、そのためのテント建てやスタッフワーク、けいこ場や機材の維持は共同で「管理」していた。
 それぞれ1年に2回は公演をしたから、1年ですくなくともテント建てが6回ほどあった。当然新人は仕事を早くおぼえる。
 本番がちかづくと照明や音響のオペレーションの補助、装置の手伝いや衣装がえの手伝いにかりだされる。
 本番当日には客入れ・客出しを教わる。
 テント建てでは、いやでもパイプやイントレの機能、テントシートの張り方や、舞台の組み方などをおぼえる。
 新人は劇団には属さず、3劇団が共同で面倒をみる。
 つまりはこれも「管理」の仕事と考えられていたことになる。
 夏、暑いアトリエで、新人発表会がある。連日しごかれ、はじめての俳優体験をする。
 そして(功罪あると思うが)、
 〈演劇は理屈ではなく馬力でつくる〉
 という一種の信仰を植えつけられる。
 発表会のあと、新人はようやく自分の希望する劇団に属するが、しごきのせいか、入会のとき百人近くいたメンバーがこのころには10人前後になっている。
 3劇団がおなじ場所でお芝居をつくるのはめんどうなことも多いが、今にしてみるとメリットが大きかったように思う。
 今回は新人の一年を通じて「製・管分離システム」についてはなした。
 次回はその結果、「複数の劇団が一か所で共存すること」についてはなそうと思う。

「演劇ぶっく」誌 1995年12月号 掲載

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