ライブラリ

コラム

安田雅弘演劇の正しい作り方

【演劇の正しい作り方⑲】舌の運動、顔の運動(体育としての演劇10)実演編その7/97年6月号

 演劇の正しい作り方19/97年6月号

 ボクらの周囲にある顔はおおむね無表情に見える。
 現代の日本人の表情表現はかなり繊細だ。微妙なニュアンスで理解しあえる文化を共有しているといってもいいかもしれない。
 ほんのちょっとした目つきやしぐさでボクらは意思表示をしたり、逆に相手の気持ちを察したりする。時計を見ていれば時間が気になるのだろうし、まばたきが多ければ何か別のことを考えているのだろうなと思う。それがわからない奴は無神経だと思われても仕方がない。つまりボクらの現代生活は無表情どころか実に表情豊かなのである。ただそのあわらし方がひどく小さく細かいので一見無表情に見えるということになる。
 では人間すべてそうなのかというとそれは違うように思われる。「憤死」という言葉があるように、古代中国では腹を立てるあまりに死ぬなんてことが本当にあったらしい。また、たとえばヨーロッパやアメリカのように歴史も文化も違う民族がひんぱんに出会う場所では自分の背景を大声で主張しないととんでもなく不愉快で不都合なことがおこりかねない。畳の部屋に土足でどかどか入ってこられたり、電車やエレベーターに裸足で乗る人がいたらボクらだって、「やめてくれ、ここはそういうところじゃない」と大声で自己主張を始めるに違いない。
 ボクらの日常の表情は人類史の中ではきわめて特殊なものにすぎないのではないかとボクは考える。従ってわれわれの日常的な表情を舞台の上にそのまま持ち込むことはないだろうと思う。微妙な表情しかできないことは俳優にとってはむしろ不自由なことかもしれないのだ。理想をいえば、およそ人間に可能なあらゆる表情を把握した上で舞台上での振る舞いを選択していきたい。
 選択。
 そう、よりハイレベルな選択を可能にするためにあらゆるトレーニングは存在していると言っていい。さりげないしぐさに見えて、俳優は舞台上でその表情を選択しているのだ。それは俳優の大切な仕事であると同時に特権でもある。チカラのある俳優とは広い選択肢を持つもののことだと思う。
 表情というものは筋肉運動である。顔や舌も身体の他の筋肉と同様鍛えなければチカラを発揮することはできない。ボクの乏しい経験の感想ではあるが、演劇の現場では一般に顔や舌を鍛えることがおろそかにされがちだ。顔は表情を作るのに、舌は言葉を喋るのに欠くことのできない筋肉である。これを鍛えないのは俳優としてのチカラを放棄したということになりはしないだろうか。

舌の運動

 舌の筋肉ははっきりと喋るには欠くことができない。できるだけ大きくキレよくやることが大切。
 顔や舌の運動をすると、連動して肩や手に力が入ってしまうことがあるので、そうならないよう注意する。回数の決まりは特にないが、舌の根が少々痛むまでやるのが目安。はじめは鏡を見ながらやるとよいと思う。

●舌の出し入れ
4拍子でおこなう。
〔1〕で、閉じていた口を思い切り開ける。
〔2〕で、舌をおもいきり出す。
〔3〕で、舌をひっこめる(〔1〕と同じ状態)。
〔4〕で、口を閉じる。
[check!]ダラっとやらずに一つ一つ切るようにおこなう。
  
●上下左右
思いきり舌を出して、上は鼻につけるつもりで、下はあごに、左右は耳につけるつもりで伸ばす。
[check!]はじめはていねいにゆっくりとおこない、慣れてきたらキレよくおこなうとよい。

●回転
舌をおもいきり出し、時計まわりにゆっくりとまわす。慣れてきたら早くまわしてみる。
[check!]滑らかな円を描くように気をつける。反対の回転でもやってみる。

顔の運動

 顔の位置を動かさず、顔の表面だけを動かすようにする。つまり、頭蓋骨は動かない。大きくキレよく、が基本。初めは恥ずかしいかもしれないが、慣れればどおってことなくなる。よく言うのだが、「恋人が幻滅するような顔」ができるとよいと思う。

●上下左右・前後
眉毛、目、頬、口それぞれのパーツを上に釣り上げる。それぞれに糸がついていてひっぱられるイメージを持つとやりやすいかも。顔が上を向かないように注意する。
同様に、下、左、右、前、うしろとやってみる。

●ななめ
顔の上半分は右上に、下半分は左下にひっぱるようにする。わからない場合はほかの人に見てもらったり、自分で触ってみる。反対もやってみる。

●縦長・横広・四方八方・集中
顔の上半分は上に、下半分は下に引っ張る。これが縦長。右半分を右に、左半分を左に、これが横広。
顔が爆発を起こしたように四方八方に広げ、最後に梅干を食べたときのように各パーツを鼻のところに集中させる。

●ぐにゃぐにゃ
顔の運動の最後に筋肉をほぐす意味でぐにゃぐにゃと動かしておくとよい。

「演劇ぶっく」誌 1997年6月号 掲載

コラム一覧へ