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安田雅弘演劇の正しい作り方

【演劇の正しい作り方㉓】左右不対称な動き(体育としての演劇12)/98年2月号

 演劇の正しい作り方23/98年2月号

 あらたな段階に入ろう。
 これからのトレーニングは自分の動きを知ることが主眼となる。今までは自分の身体がどうなっているかを知るのがテーマだった。これからはその身体がどう動くか。
 手始めに左右不対称な動きをやってみようか。できるにこしたことはない。が、できなくてもいい。頭でわかっていても身体がいうことをきかないってことがある。それを感じてほしい。
 たいていの人はやればできるようになる。少なくとも、そんなにむずかしいものではない。どうしてこんなトレーニングが必要なのか。むしろ、やりながらそこのところを考えてほしい。
 演劇を作っていく場合、俳優がどのように動くのかということは、どのようにしゃべるのか、また何をしゃべるのかということと同様、とても大切なことだ。
 ためしに、何のトレーニングもしていない人に「自由に動いてごらん」
 と言うと、たいてい左右対称なポーズや動きになる。線対称であったり、点対称であったり。つまり、ボクらは左右対称な動きのルールに強くしばられている。このルールに気づいてほしい。ボクらは無意識に、こうしたルールに沿って動いていることになる。無意識だ、ということは、知らず知らずそうなっているのである。
 知らず知らずにハンドルを切り過ぎる運転手がいたとする。その人の運転する車に乗りたいとは思わない。知らず知らずに打つべき釘を打たない大工がいたとして、その人が建てた家に住みたいと思うだろうか。
再三言うように、舞台上で俳優は全身を観客の視線にさらすことになる。その動きが知らず知らずだということは、程度の差こそあれ、その運転手や大工と変わらない。舞台の上で振る舞うということへの自覚に欠けるということだ。
 左右対称の動きに話を戻そう。
 一定のトレーニングを経てから、「知らず知らずに左右対称のルールに従った動き」を改めて眺めてみると、ひどく幼稚に見えるものだ。
それはたとえば、学校ではじめて作文を書いた時に、文章が「~しました。」の連続だったりするのに似ている。
 何が言いたいかはおおむねわかるが、不自由で稚拙な印象を受ける。何の訓練もしていない身体というものはそういうものだ。文章に表現力があるように、身体にも表現力がある。それを向上させることが表現を豊かにするということなのだ。身体の表現力が乏しい人は魅力的とは思えない。魅力的でない人は俳優とは呼べないとボクは考えている。

左右不対称な動き

慣れればたいていの人はできるようになる。ピアノやドラムをやっている人は得意なはず。うまくできなくていいので、いい加減に流さず、ていねいにやること。その上でできるだけ早くできるようにこころがけるのが効果的だと思う。生真面目にやる必要はない。げらげら笑いながら楽しくやろう。

■指の動き①
両手を結んで、右手の親指と左手の小指だけ出す。次に、その二つの指をひっこめた瞬間に左手の親指と右手の小指が出るようにする。それを交互に繰り返す。

■指の動き②
両手を開いて、右手の親指だけ折っておく。この状態で、両手別々に指折り数を数えていく。「いち」と言ったら、右手は親指と人差し指、左手は親指を折る。「に」と言ったら、右手は中指、左手は人差し指を折る。「さん」「し」と続けて、「ご」と言ったら、右手は小指を開き、左手は結んだ状態になるはず。結んだら順番に開いていくようにして、「じゅう」の時には、はじめと同じ状態に戻っていればOK。
[check!]左右入れ替えてやってみる。できるようになったら、はじめに片方を2本折ったり、3本折ったりしてさらに難しくしてみる。

■腕の動き①
中腰で座り、左腕をグーにして左のももを上下にトントンと叩き、右腕をパーにして右ももを前後にスリスリと擦る。別の人の合図で、一瞬でトントンとスリスリを入れ替える。その入れ替えを繰り返す。
[check!]グーでスリスリしたり、パーでトントンしがち。そうならないようにする。

■腕の動き②
中腰で座り、左手をパーにして伸ばし、右手をグーにして胸につける。次に左手を胸につけてグーにし、右手を伸ばしてパーにする。これを交互に繰り返す。
これができるようになったら、今度は胸につける方の手をパーにし、伸ばす方の手をグーにする。これも左右交互に繰り返す。
両方ができるようになったら、別の人の合図で、胸につける手をグーにする繰り返しと、パーにする繰り返しを入れ替えてみる。

「演劇ぶっく」誌 1998年2月号 掲載

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