ライブラリ

コラム

安田雅弘演劇の正しい作り方

【演劇の正しい作り方㉕】日常の動きをチェックする(体育としての演劇14)/98年6月号

 演劇の正しい作り方25/98年6月号

 ボクらは日常、ほとんど意識することなく身体を動かしている。ひじの位置を確認したり、ひざの高さを測りながら歩いているわけではない。ごくたまに、たとえば大切なものを運ぶ時や、けがをした時、偶然動きを意識する。その程度だ。舞台で全身をさらす俳優ならば、自分が舞台上でどのように動いているかを知っていなければならないと思う。それは当然として、それ以前に、ボクらは普段自分がどのように動いているか、どのくらい把握しているのだろうか。
 ボクらは自分の動きに無頓着である。今回はそれを確かめてみようと思う。
 ためしに、靴と靴下を使ったトレーニングを紹介しよう。
 靴と靴下は、毎日履いたり脱いだりしている。逆にその分だけ無意識に行なっている動作だと言える。
 はじめに、靴と靴下を実際に脱ぎ、その後履いてみる。
 これは誰でもできる。
 次に、同じ動作をそれらなしでやってみる。靴は、できればしばり靴の方がよい。ひも無しでしばる方が想像力を必要とするからだ。わからなくなったら、もう一度実際に履いたり脱いだりしてみる。
 はじめて蝶々結びができた日のことをおぼえているだろうか。感動したはずだ。繰り返しているうちに感動は少なくなり、動作は無意識になっていく。これは全ての動作について言える。自動車の運転などもそうだ。教習中は大変だが、日常的に運転するようになると感動は薄れていく。そもそも一々感動していたら日常生活に支障をきたしてしまう。
 指先の動きは把握しやすいと思う。もう少し視界を広げて、着脱時に、ひじや肩、また首がどのように動いているか注意を払ってみる。指先だけが動いているわけではない。全身を使っていることが理解できると思う。
 さて、そこまでできたら、けさ自分が靴下や靴を履いた状況を再現してみよう。ベッドだったのか、椅子だったのか。座っていたのか、立っていたのか。できるだけ具体的に思い出してみる。
 さらに、その時自分は何を見ていたか、聞いていたか。また、何を考えていたか。もし並行して別のことをしていたなら、(たとえばジャケットを着ようとしていたとか…)、それも思い出してみる。
 数年前、稽古場でこのトレーニングをしていた時、あるメンバーがひざを立てて靴下を履いていたことがあった。聞けば彼女の家では家族全員そのように靴下を履いているらしい。特別な慣習かとも思ったが、よく考えてみれば、江戸時代まで、いやもっと最近まで、和服で暮らしている家庭では、ひざを立てて足袋を履いていたはずだ。つまり立てひざの方が普通だったわけである。今、ほとんどの日本人はお尻をつけて靴下を履いている。わずか数十年の間に立てひざで靴下(足袋)を履く動作・習慣が失われたことに気づいて、愕然とした。こうしたしぐさに意識的になり、ときに保存継承していくのも実は演劇の役割なのだ。
 ともあれ…
 自分がどんな状態で靴や靴下を着脱したか、それを総合的に復元してみる。慣れてしまえばそんなに難しい作業ではない。けれども、それは演劇的にはとても重要な意味を持つ。
 次回、その重要性について説明する。

「演劇ぶっく」誌 1998年6月号 掲載

コラム一覧へ