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安田雅弘演出ノート

平成・近松・反魂香(桐朋学園大学 芸術科演劇専攻 卒業公演)/2001.2

安田雅弘(2001.2)

この作品の原作は近松門左衛門の『傾城反魂香』で、1708年、近松門左衛門56歳の時に竹本座に書かれたと言われいる。竹本座は竹本義太夫の興した文楽の一座である。傾城[けいせい]とは女郎のこと、反魂香[はんごんこう]とは、たくと死んだ人があらわれるといわれる香のことである。すぐれた作品だと思うが、こんにちでは歌舞伎で一部分が「吃又」として上演されるだけで、この作品の全容を知っている人はほとんどいないのではないかと思われる。近松と同じ日本人として、とても残念なことだ。現代日本演劇の問題は、明確なスタンダード(基準)が存在しないことにある。私はそう考えている。すなわち何がすぐれた作品なのか、そうしたすぐれた作品を作るために、俳優やスタッフといった各々の職分に求められる能力とはどのようなものか。そのことについてのコンセンサスがない。現代の日本人にとって演劇の概念はきわめて曖昧なものであると言いかえることもできるかもしれない。社会のあらゆる価値観が過渡的な状況にある現在、コンセンサスの構築をことさら急ぐ必要はないと思う。しかし、それをどのように構築していくのかというビジョンは一演劇人として持っていたいとも思う。 私たちにとって演劇的な古典とは何であるのかを明確にすること。また、私たちにふさわしい演技演出様式を模索すること。とりあえず私は、この二つのアプローチから現代日本における演劇の概念を築いていくべきだと考えている。そうした課題設定の中で、今回のような形態での近松作品の上演を、私は演劇的実験として行ってきた。単純に考えて、シェイクスピアをタキシードやジーパンで演じることができる日本人が、なぜ近松を上演する時にはかつらをつけ、和服を着るのだろう。フローリングと畳の両方ある家に住み、クリスマスと正月をともに祝う私たちの等身大の表現として近松をとらえることはできないだろうか。それが実験の動機である。今回、桐朋の学生さんを私の実験に巻きこむことへの躊躇がなかったといえば嘘になるが、現代演劇のビビッドな現場を体験していただくことは少なからず今後の演劇界にとって意味のあることではないかと考えている。

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