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コラム

安田雅弘演出ノート

オイディプス@Tokyo/2002.7

安田雅弘(2002.7)

今回の上演に当たって、オイディプスやイオカステといった人間だけでなく、彼らが背負った苛酷な運命そのものも、できるだけ具体的な形にしたいと考えました。もちろんはじめからそのようにはっきりと考えていたわけではありません。漠然とした想念をより明瞭な形にしていく過程で、どうやら自分のやりたいことはこういうことなのではないか、という感触をつかんでいった結果です。

運命はまた「怒りと暴力」の象徴でもあります。説明するまでもないと思いますが、男優が演じる「怒りと暴力」に取り囲まれる形で女優が演じる「Tokyo」が存在するというのがこの芝居の構造です。それは私の東京観でもあります。同時多発テロやパレスチナ問題に言及するまでもなく、世界には「怒りと暴力」が渦巻いています。「怒りと暴力」は人間の肉体の尊厳を欠いていると私は思います。「Tokyo」は世界の「怒りと暴力」に対して一見無頓着で無関心ですが、間違いなくその影響のもとにあり、肉体の尊厳の欠如という意味では、何ら変わらないところにあるのではないでしょうか。その価値観の先にあるのは人類滅亡への予感です。

オイディプスもまた、その価値観から外れたところにいたわけではないと、読むことができます。オイディプス(=腫れ足)という自身の名前の由来に関心を払うことなく、自分の目にしている世界がすべてだと彼は信じています。その誤りに気がついたとき、彼はその価値観の支えであった自分の目をつぶします。それは彼が先刻罵倒した予言者と同じ、盲目になることでもあったわけです。今までとは違う視点、それこそ、肉体の尊厳の回復にあるのではないか。目をつぶした後のオイディプスに私は希望を見たいと思います。

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