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劇評/Performance Reviews

傾城反魂香 ルーマニア公演 劇評「さくらの花」

「さくらの花」

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 さくらの花は日本のシンボルである。それは人生になぞらえられ、はかない美しさゆえに愛されている。日本人の考え方のシンプルさ、物事の見方ある いは理解の仕方の寛容さは、予見できない不安からくる恐怖を持つことなく、超自然的な現象を受け入れることに原因していると思う。その生と死にたいする考 え方は、西欧人にとっては、原初的に感じられ、それゆえ余計に刺激的である。死者は霊となり、空中を自由にさまよい、愛する人々の近くにとどまる。

 山の手事情社は、このフェスティバルでは常連となっているが、シビウの国立劇場に集まった文化的背景の異なる観客に、日本の典型的な物語を、演出家・安田雅弘が進める《四畳半》スタイルで演じてみせた。役者によって具現化される演技の原則は、ほとんどアクロバットのように、頻繁に短時間止まっては また動くもので、誰もが会話をする間は、いかなる動きも止めるというものだ。そしてすべての人物が舞台のある場所にグループ化され集まっている。衣装は、 日本の伝統の影響を受けたもので、身分の高いヒーローたちは、ゆったりとした着物をはおり、また農民は、簡単に仕立てたみすぼらしい着物をきている。

 舞台美術、装置は、日本演劇の特徴を否定するものではない。最小限主義である。すなわち三枚ののれんからなっており、舞台の背景に並べられ、真ん 中のものだけが他のものより1メートルほど後ろに置かれている。これにより役者の出入り口が確保されている。こののれんに、絵や風景の映像が映される。な ぜならば主人公が画家だからである。

 画家の名は、狩野元信。この人物は15世紀から16世紀にかけて生きた実在の人物である。彼は一人の高級娼婦と恋に落ち結婚を約しながら、その後 経済的な理由からお姫様と結婚することになる。娼婦は、まさに結婚式当日、画家の将来の妻にその夫を49日間借り受けることに成功する。しかし実はその時 点で娼婦は死んでいたのであった。元信は結局、彼への愛を持ち続け死後よみがえった娼婦の幽霊と一緒に生活していたことをのちに知る。愛情と献身の融合の 物語は、サムライにとって名誉と忠誠が二つの大切な規範であったように、日本文化に特徴的なものである。名誉を保つためのハラキリとは対照的に、堕落した 周辺の現実が存在することもまた事実であろう。

 日本の演劇に特徴的なことは、階層の異なる登場人物が複雑に関係することにある。体を売ることを余儀なくされてはいるものの知性的な芸者と、多く の腰元に怠け者と非難されているお姫様が、同じ話のヒロインとなり、ライバルとなる。同じ社会の両極に属する女性が、運命のいたずらによって、一方の幸せ が、他方の不幸となる。皮肉にも、愛する一人の男の心にそれぞれがそれぞれの場所を占めるのである。限られた時間を画家と過ごす娼婦。そして結婚の初めの 日々を譲ることにしたお姫様。勝利のバランスは、最後まで添い遂げることになるお姫様の側に傾く。にもかかわらず、演出家が考えたフィナーレは、二人の夫婦を待ち受ける「永遠」に疑問の陰を投げかける。本当の愛は、さくらの花のごとく、数日しか保たれないのかもしれない。美しいものは、短命であるのかもし れない。

シュテファニア・ドガリウ(「アプラウゼ」誌 2011年6月3日)

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