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コラム

安田雅弘演出ノート

傾城反魂香[二本立て公演]/2011.12

安田雅弘(2011.12)

3.11と近松門左衛門

 幸運にも半年前、この作品をルーマニアで上演した際、上演の意義を、おおむね以下のように説明しました。ヨーロッパの人たちに伝えたことは、日本の皆さんにお伝えしたいことでもあります。

 3月の震災には、多くのご支援とご声援をいただき、本当にありがとうございました。
 災害の混乱の中、日本では暴動が起きませんでした。日本人の秩序立った行動には、海外からも多くの驚嘆と称賛の声が寄せられたと聞いています。
 たとえ先進国であっても、大規模な地震や津波に見舞われ、ライフラインが寸断され、物資の供給がままならない状況に追い込まれたら、さまざまな不満や不安が一気に噴出し、暴動が起こっても不思議ではなかったと思います。
 日本が物質的に豊かで、人々が不安や不満をあまりもっていないからだ、と思われる方がいるかもしれません。確かにそういう部分もあるでしょう。しかし、それだけではない、と私は考えています。
 フランスの詩人でポール・クローデルという人がいます。大正末期から昭和初期にかけて、駐日大使を務めた人でもあります。彼が第二次世界大戦中、日本の敗勢が濃くなった昭和18年、パリの夜会で詩人のポール・ヴァレリーにこう語ったといいます。
「私がその滅亡するのをどうしても欲しない一つの民族がある。それは日本人だ。これほど興味ある太古からの文明をもっている民族を私は他に知らない。最近の日本の大発展も私には少しも不思議ではない。彼らは貧乏だが、しかし彼らは高貴だ。」
 ヨーロッパに騎士道があり、日本には武士道があります。サムライの作法です。単純に言えば、卑怯な振る舞いをしてはいけない、臆病であってはならない、というような内容です。騎士道は大抵貴族のものです。貴族以外の一般の人々まで縛る倫理観ではありません。
 1600年くらいから270年間を日本では江戸時代と呼びます。この時期、鎖国といって国を閉ざし、外国とはほとんど交渉しませんでした。外国と戦争がなく、大きな内戦もなく、世界史でも珍しい、平和な時代でした。
 この江戸時代に、先ほどの武士道は、サムライだけでなく、一般の庶民にまで浸透しました。教育が非常に盛んな時代でした。戦争がないので、腕っ節では出世できず、皆学問をしたのです。識字率もヨーロッパ以上に高かったのではないかと言われています。サムライの倫理観がほぼ日本人全体のものになったという遺産によって、つまり卑怯な振る舞いをするな、臆病であるな、という考え方が深く浸透していたからこそ、それは現代の日本人の精神深くにまで及び、この間の震災で暴動が起きなかった大きな要因の一つになったのではないかと私は考えています。
 倫理観を浸透させる上で重要な役割を果たしたのが、歌舞伎や文楽でした。人々は芝居や人形劇を見て、人間とはどのように生きるべきかを学びました。上司と部下の関係、親子の関係、友人関係はどうあるべきか。謝る時、褒める時、怒る時、人はどう振舞うべきかの教科書でもありました。お芝居に出て来るいろいろな階層のさまざまなタイプの人の生き方を見て、どのように生きるのが美しいのかを、私たちの先祖は学びとって行ったのだと思います。
 作者の近松門左衛門は、その歌舞伎や文楽の代表的な作家です。彼は武士の生れでした。当時劇作家になるということは、武士の特権を捨て去ることで、それほど劇作という仕事に魅力を感じていたのでしょう。彼は弱い人間の視点から社会を描きます。サムライの立場では描けないと思ったのかもしれません。
 私は、現代演劇の演出家として、シェイクスピアやギリシア悲劇なども上演してきましたが、それらの作品と比較しても近松門左衛門は日本を代表する、すぐれた劇作家だと思います。彼の作品の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたいと思います。

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