ライブラリ

コラム

安田雅弘演出ノート

ひかりごけ/2013.3

安田雅弘(2013.3)

題名の理由

 この作品がなぜ「ひかりごけ」という題名なのか、私には長いことわからなかった。
 第一幕で、登場人物の八蔵は、西川の首のうしろに光りの輪を見つけて、こんなことを言う。

「昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪がでるだよ。緑色のな。うッすい、うッすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるだと。」

 そんな言い伝えなど知らない。実際に流布していたものとも思えない。武田泰淳の手で作品化されたことによって、元となった実際の事件が逆に「ひかりごけ」事件と呼ばれるようになったことは知っている。が、泰淳がなぜこの題名をつけたかについては真剣に考えてこなかった。どんなに言い訳しても、なまけていた。
 2004年に当劇団の倉品淳子が年配の女優を使って演出した作品を、2005年の再演時に見て面白いと感じ、翌年共同演出という形で東京と韓国で上演した。おそらくその時にも頭のどこかにひっかかっていたはずだが、解決には至らなかった。さぼっていた。
 今回の上演のため、改めてさまざまな資料に当たり、その中にあった評論の一つに強くひきつけられた。文芸評論家・山城むつみの「『ひかりごけ』ノート」(「群像」2010年1月号所収)がそれだ。氏は光の輪について重厚な論考を展開しているが、中でも興味深かったのはヒカリゴケという苔がホタルのように自ら発光するのではなく、外部から受けた光を反射して光る植物であるという指摘だった。その考えを広げて行くと、先ほどのシーンの、西川の首のうしろに見える光の輪は、西川が発光しているのではなく、八蔵を光源としている、という衝撃的な結論に至る。付帯根拠として、泰淳の作品である「異形の者」なども挙げられ、私にはきわめて説得力のある内容に思えた。だとすれば、評論には書かれていないが、八蔵の言う「言い伝え」の内容は本当ではないという展開になる。必ずしも「首のうしろに光の輪がでる」のは、「人の肉さ喰ったもん」ではない、ということになるのだ。
 稽古場では、作中数か所ある「光の輪」について、それぞれ誰が光源であるのか、また一体どういう状態の時に、人は光源になりうるのか、時間をかけて議論した。暫定的ではあるが、私は以下のように考えている。

 極限状態にあって、つまり「死」というものを強く意識している精神状況下で、自分の「生」を肯定できている瞬間に、その人間は光源となりうるのではないか。

 むろん「生」の肯定や否定を、一元的に確定できるほどわれわれの精神は単純なものではなく、山城も泰淳が使った「閃鑠[せんしゃく]=かすかに真実を露[あらわ]したと思えば、また之を掩[おお]う」という言葉を使って光源の不定性を指摘している。もとより、私たちの首のうしろは実際は光るわけではないし、ひかりごけに似た光の輪を見ることもない。
 ともあれこの論文との出会いをきっかけとして、この戯曲の「上演不可能性」と、それでも上演したいと思わせる作品の魅力との間で、今までになく深刻に揺れ動いた。というか今でも揺れ動いている。あらためて、作家の魂の深淵に触れる作業の難しさと面白さに身を浸している。

コラム一覧へ