稽古場日誌

研修生 浦 弘毅 2016/06/01

苦しめ! 笑え!

今年度の研修プログラムを担当することになりました、浦 弘毅です。
今年のワークショップ生は9名。
私も彼らと同じように、ワークショップ生を経て、劇団員となりました。

私が山の手事情社の門を叩いたのは1996年。いまから20年前。
俳優になろうとした動機は「サラリーマンになりたくなかったから」。
とても不純な動機である。
演劇の【え】の字も知らない当時の私にとって、演劇界は芸能界のような華やかでちゃらちゃらできる所だと想像していた。

入団する前、「どこに入れば華やかな舞台に立てるのか?」なんて漠然と考えていた。
まずは観てからと思い、1年間で100本近くの芝居を観た。
しかし、演劇に詳しくない私には、どんな芝居が一般的に面白いかなんてわかるはずもなかった。
その100本近く観た中で一番面白くなかったのが、山の手事情社の『ドリフターズ』である。

「面白くなかった」というのは語弊があるかもしれない。
「腹が立った」と言ったほうがいいかもしれない。
すかしてやがる、何をやっているかわからない、舞台美術が一色の世界で目が痛くなる… 数え上げたらきりがない。

「この劇団は何を考えているんだ? すかしやがって全員つぶしてやる! 一番になってやる! ここに入ってやる!」
不純極まりない理由を持って、私は入団を決意した。

初日のガイダンス(顔合わせ)で分厚い冊子を渡され、担当となる先輩劇団員が2時間近くかけて説明し、熱く語った。
その後、さらに熱く語りながらの稽古。そして劇団員との会食。『ドリフターズ』を観て「すかしてやがる」と私は感じたが、そういう演技トーンだったことを知る。この日出会った劇団員は誰もすかしてなかった。騙された。

それから地獄の様な稽古が始まり、真冬でもTシャツが何枚あっても足りないほどの汗をかき、あまりの筋肉痛で階段を昇降できない日もあった。
《二拍子》の稽古では「何をやっているかわからないよ!」「見ている人がピンとわかるように表現するんだ!」とダメ出しされた。
わかりやすくすることを無視していない。
『ドリフターズ』を観て「何をやっているかわからない」と私は感じたが、そういう演技トーンだったことを知る。騙された。

劇団の本番の手伝いもする。稽古につきっきりになる。
稽古を見続け、感じたこと。単一色で舞台を統一すると、自然と俳優だけに目がいってしまう。俳優も体の使い方が観客に観られているので嘘はつけない。
たしかに『ドリフターズ』では目はチカチカしたが、そのぶん俳優の表情、動きは鮮明に覚えている。「目が痛い」と私は感じたが、色には世界観があり必要だったんだ。納得した。

劇団では劇団員だろうとワークショップ生だろうと容赦なく、気の抜けない稽古場で毎日胃が痛かった。
地方公演のときには同期たちと逃げ出したこともあった。
「どうすればいいのですか?」「なにをやればいいのですか?」などは一切通用しない。自分で考え、何が面白いか? どうすればわかりやすくなるか? 何もない時にどうやって仕事を探すか? とにかく神経が衰弱するくらい毎日考えさせられていた。時にマンネリ化し怠けることもあったが、そのたびごとに主宰や先輩から「怠けてるんじゃないよ!」と檄が飛んだ。

そんな20年間。何かを信じ続けながら、何かを疑い続ける。そこには物事を過信せずに一歩一歩熟考し進んでいくという絶対的な信頼関係があります。
楽しいことはほとんどなく、毎日がつらい作業。でもこの作業が長い時間を経て、笑い話になったり、自分の成長を気付かせることもあります。

20年前に私が経験したことを押し付けようとは思いません。今の彼らが妥協することなく、どうやってこの時間を過ごすか。彼らなりに苦しんでくれればそれでいいと思っています。
20年後、笑い話となり、うまい酒が飲めることを期待して!

浦 弘毅

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