稽古場日誌
オイディプス@Tokyo 栗田 直輝 2016/12/25
作中「父を殺し、母と交わり子をなす」とオイディプスが授けられる神託は、ただの神話なのだろうか。現代の私たちも実は依然として強固な神託に縛られているのではないか。劇団員が自分にとっての神託を語ります。
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昔は、周りと違うことをやる自分というものがとても誇らしかったのです。
コスプレや女装をしてTwitterに投稿したり、
自分の歌声をネットで投稿したり、
ウェブラジオみたいなことをやり、
演劇サークルでは短いながらも戯曲を書き、
演出をして…
その他にも書ききれないくらいいろいろやった記憶があります。
周りはそんな自分をちやほやしたり、褒めてくれたり注目してくれたりします。
周りと違うことをやる自分こそ自分であり、
それが自分の正義であり、
自分は比較的面白い人間だ、と。
そう思っていました。
まだ、学生時代は面白いことを考える人だったんです。周りの評価は。
でもだんだん思い浮かぶこと、やろうとすることがつまらなく感じていって、何も浮かばなくなってきて。
親戚や友人知人に話しても
「考えることや求められることのレベルが上がってきてるからそう思うだけだよ」
と言ってくれます。
でもそうじゃない。
他の人が面白いアプローチをしてきたのに自分は何も浮かばない。浮かんでもどこかで見たことある。
脳が、思考が停止する。
このままだんだん没個性になっていくんだ。
いや、所詮自分は井の中の蛙でもうすでに充分に没個性でつまらない人間なんじゃないのか。そう考えるとだんだん怖くなっていきます。
でも、もっと周りと違うことを、違うものを、違う経験を… とエスカレートしていった結果自分を壊してしまうことも怖いんです。
その矛盾した自己愛で普通以下のことしかできず意気消沈します。
「ちやほやされてきた自分」が僕の神託であり、呪いです。
もう、逃げられない、ガチガチに縛り付けられて。
栗田直輝
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若手公演「オイディプス@Tokyo」
2017年2月23日(木)~26日(日)
すみだパークスタジオ倉
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