稽古場日誌

オイディプス@Tokyo 河合 達也 2017/01/29

神託を探す日々

作中「父を殺し、母と交わり子をなす」とオイディプスが授けられる神託は、ただの神話なのだろうか。現代の私たちも実は依然として強固な神託に縛られているのではないか。劇団員が自分にとっての神託を語ります。
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さて、僕が演劇の世界に入った理由を話したいと思う。
別に大それた理由ではなくて、ただただ単純に面白い人間が多く居そうだからである。
自分自身が面白い人間になりたいというよりは、面白い人間が面白い事をしている姿を見ることが好きで、それを求めて演劇の世界に入って来た。

例えば、劇団の俳優で、疲労困憊の上に怪我をしたり病気にかかっても「大丈夫、死にゃあしないんだから」と無理をして稽古にのぞむ人がいる。
確実に痛がっているのだが平気なフリをして、しかもその痛みを表現の衝動に変えて芝居をしている。
端から見れば心配でしょうがないけれども、その姿に惹かれていく。そして「大丈夫、死にゃあしないんだから」 という神託めいたものを自分の身に植え付けていく。

もう一つ、毎日の挨拶のトーンが変わらない俳優がいる。
誰でもその日その時の気分というものがあると思うが、稽古場に来る時、帰る時、いつ挨拶をしてもテンションやトーンが毎回一緒の人がいる。
挨拶一つでその人の気分や体調が伺えるのだが、毎回同じ挨拶をする人の気分などは読めない。そのうちに、その人の挨拶を聞く事で安心する自分が居る事に気付く。
どれだけ稽古場が重苦しい空気になっても、大変な状況にあるはずなのに、その人は変わらずいつもの挨拶。
いつも凛とした姿で居ようとしているのか、あるいは特別な神託を抱えているのか。わからないが、すごいなぁと思う。

特に自分の身の回りには変わった人が多く、その人の生態を見ていくうちにその人にしかない、まるで神託に縛られているかのようなこだわりを感じる事がある。
何故だろうかと、その人の背景や人生を無責任に妄想する。その、あらぬ妄想を拡げることが、僕が演劇に携わる生きがいになっているのだ。

はて、そういえば、オイディプスが最後に両目を潰したのは何故だろう。

河合達也

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若手公演「オイディプス@Tokyo」
2017年2月23日(木)~26日(日)
すみだパークスタジオ倉
公演情報はこちら

Oedipus@Tokyo

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