稽古場日誌

班女 大久保 美智子 2017/06/26

様式をめぐる冒険、ナウ

「様式」について書いてくれとリクエストを受けました。
不肖ワタクシ、若輩者ですが語らせていただきます。
初めて様式的な舞台を観たのは、恐らく利賀村です。鈴木忠志さん演出の「糸と幻」だったか「リア王」だったか。
いずれにしても今まで私が触れてきた演劇とは違うものでした。「なにこれ!? 怖っ!」と反応しました。観たくないこんな怖いもの観たくない… なのに… 観てしまう! 自分がこの世界にはまり込むとは思いも寄らず、こういうことをやる人は何か特別な才能があって、私とは別次元の人なんだ… と思っていました。
何がそんなに怖かったのか? 今正確に思い出すことは難しいのですが…。
人間がこんな状態になっちゃうなんて、それを見せるなんて、嘘でしょ??? という感じだったのではないかと。
居るだけで異様なエネルギーを放っている役者たち。やたら止まってる。かと思うとダッシュ。普通に暮らす人のテンポではない。止まっている俳優の中で何かが起きている、何かはハッキリとは分からないけれど、動いているのが分かる。得体が知れない、怖い。

やがて我が劇団でも「様式」にトライすることになります。主宰・安田の鶴の一声でした。
能や歌舞伎など古臭いと思っていましたが、仕方なく勉強を始めました。
研究発表で「世阿弥の言葉に〝冷えに冷えたり″というものがあります。これはどういう状態でしょう?」というのを延々みんなでエチュードしながら追及したりしてました。
ふざけていた訳ではなく、大真面目でした。いくつもの公演で様式へのトライアルを繰り返し、その中で徐々に、様式がどんなものなのか、自分たちなりに理解していきました。
不肖私が、様式とは? をザックリ言ってしまうと、ある感情や状態を表現するのに、意図的にバイアスをかけることだと思います。
歌舞伎の「型」、能の「舞」などと同じです。
今稽古していて、若手の俳優にそこのところがなかなか通じず、また自分でもすぐ陥るので苦労するのですが…「悲しいからって、悲しいよ〜! って叫んでも、それ以上のものは伝わらないよ」ってことなのです。
でも悲しみを内に抱いて、前を向いて止まっていると、不思議と観ている人は色々な内面を想像するのです。
この表現方法は、日本人特有のものだと感じます。俳句や短歌などでも、感情をそのまま表現するのは日本人にとってはダサくて、その周辺(その時、月がどう見えたかとか、風がどのように吹いたかなど)を描く。
感情そのものを描かずに余白を持たせる。その余白は観る人の想像力を刺激し、より強烈な体験となる。
そして観る人の中で完結する。
今回映像に登場していただく安田登さんに伺ったお話ですが、フランス人に俳句を教えるのは骨が折れるそうです。
感情をダイレクトに表現する言葉を入れないで、と言うと「じゃあ何を詠めばいいの?」となるらしいです。
こんな不思議な手法を私たちの先祖は編み出して、ずっと守ってきました。能は600 年以上、歌舞伎は 300 年以上です。
なんと独特な文化だろうと思います。このおもしろさを、私たちは知っておいてもいいんじゃないかなぁ、外にもおもしろいものはいっぱいあるけれど、自分たちの血の中に、すっごいおもしろい感性があるみたいだよ、グローバル化の底が見え始めた今、再びルーツから出発するのもアリなのではないか? と、不肖ワタクシ、微力ながら提案したく思い、自分企画をやっている訳なのです。

大久保美智子

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「班女」
2017年6月30日(金)~7月4日(火)
The 8th Gallery(エースギャラリー)
公演情報はこちらをご覧ください。
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