稽古場日誌

傾城反魂香 菅原有紗 2017/10/06

時を繋ぐ池上本門寺

稽古が終わって頭も心もグルグルしている時は、池上本門寺に行きます。
池上本門寺は稽古場の近くにあり、劇団のランニングコースにもなっています。
日蓮宗の大本山で、昼間は人で溢れ、夜もポツポツとですが人が絶えず訪れます。
今日も23:30頃、私がお賽銭を投げて手を合わせている間に、3人お賽銭を投げて行きました。
そういえば、池上本門寺は狩野派の菩提寺でもあるらしいです。そこらへんに元信(もとのぶ)の縁者が眠っているのか。南無南無。

昼夜問わず、人の居場所となっている池上本門寺。
私は無宗教ですが、どうもここの空気が好きで度々訪れ、一晩中物思いに耽ることもあります。

この時期になると、切なくなるような澄んだ風が吹いて、木々を揺らし、鈴虫の音が響きわたり、真っ暗な夜空にぽっかり月が浮かんでいます。

「遊女達は窓からあの月を眺めて、想う人を待ちながら、別の男に抱かれる日々を送っていたのか。」
とか
「土佐将監(とさのしょうげん)は勅勘をこうむって隠棲している間、家の周りの藪から聞こえる葉擦れの音に包まれて、ひっそり辛さに耐えていたんだなあ。」
とか
「名古屋山三(なごやさんざ)と伴左衛門(ばんざえもん)が斬り合ったのはこんな闇の中で、月明かりに照らされて眼と刀だけが光っていたんじゃなかろうか。」
とか、色んな情景から『傾城反魂香』の登場人物の感情が湧き起こってきました。

こういう不思議な感覚、好きなんです。
なにか変わらないもの(自然であったり、物や場所であったり)を通じて、今、ここにいない人が、身近に感じられる瞬間。

安倍仲麿の有名な和歌「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」も同じような感覚だと思うんです。
俗な例えだと、小学校の時、放課後に好きな子の席に座ってみてドキドキした感覚でしょうか。

芝居は、時代や国、社会のあり方が変わっても変わらない「人の心」というものを描いて、今そこに生きているように感じられる不思議な芸術だと私は思います。
特に山の手事情社が取り組んでいる《四畳半》というスタイルは、心・感情というものを身体で表出することに重きが置かれています。
昔々のお話ですが、現代の私たちと同じ心を体感して頂けたら嬉しいです。
(ちょっと理解しがたい当時の社会のあり方については、以前の稽古場日誌で解説しています。チェックして頂けるとより芝居を楽しんで頂けると思います!)

さて、夜中に狩野派のお墓参りをしていたら、力道山のお墓を見つけ、そろそろ帰りなさいと言われてる気がしたので帰ります。
安眠妨害ごめんね。
それでは、是非とも家族、恋人、友人など、大切な方と一緒に観にいらして下さい。
劇場でお待ちしております。

菅原有紗

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『傾城反魂香』
2017年10月13日(金)~15日(日)
大田区民プラザ 大ホール
公演情報はこちらをご覧ください。
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