稽古場日誌

タイタス・アンドロニカス/女殺油地獄 佐々木 啓 2015/10/08

悲劇=0 もしくは悲劇=人生

学生時代の僕は今よりも挙動不審で友達も片手で数えられくらいしかいなかった。
当然彼女もいなかった。
スポーツも苦手でテストでは赤点ばかり取っていた。
休み時間なんかは周りのクラスメート達が友達同士で遊んでいる中で一人学校から教室に支給される新聞を読んでいた。
気付けば中学校での楽しみは友達と遊ぶことより新聞のスポーツ記事を読むことになっていた。
家で読めばいいじゃん、と思うだろうがそれは違う。学校で読む新聞は何故か面白く感じることが出来る。家では普段リンゴを食べないのに給食のデザートでリンゴが出たらテンションが上がるのと同じ原理だ。おまけに月ごとに新聞社が変わる!
同じスポーツ記事でも各新聞社によって記事の書き方が違うし表現の仕方も違う。時間が余った時は政治欄や囲碁・将棋欄を読んだりしていた。
周りからどう思われていたかは分からない。もしかしたら僕が休み時間に新聞ばかり読んでいることを知らない人もいたかもしれない。 ただそんなこと関係なしに新聞を一人で読むのが楽しかった。
そんなある日クラスメートの一人に「お前って、可哀想だよな」と言われた。
ショックだった。自分が楽しいと思っていたことが否定されただけじゃなくて憐れまれた様な気がした。自分だけ周りから隔離されている、皆と同じ空気を共有出来ていない、そんな気がした。そして今まで自分はなんて無駄な時間を過ごしてきたんだろうと思えてきた。
まるで自分が悲劇の主人公の様に。

今思えばどうでもいいくだらないことで悩んでいたなぁと思う。結局悲劇なんてその人の捉え方次第だし台本解釈と同じでその人がどう解釈するかなんじゃないかなぁ、悲劇は他人から与えられるんじゃなくて自分で作っているんじゃないかなぁ、と今は思ったりする。
学生の頃の新聞の件は当時は悲劇だったけど今となっては良い思い出。
「悲劇=人生」にもなるし「悲劇=0」にもなる。

まぁ、と言っても休み時間に新聞を一人で読んでいる学生の姿は悲劇的かもしれないが・・・。

佐々木啓

******************************
『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』、両作品が「悲劇」であることにちなんで、「私と悲劇」をテーマにした稽古場日誌を連載中です。
それぞれの生活感あふれる「悲劇」をどうぞお楽しみください。

『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

稽古場日誌一覧へ