稽古場日誌

最近「マイノリティ」という言葉に出会う機会が何度かあり、(遅!)
なんとなくの感覚だった「マイノリティ」が、改めて「タイタス・アンドロニカス」を上演することで、腑に落ちた感じがした。

ローマという大国の将軍タイタス・アンドロニカスが、勝利を収めた戦争から凱旋するところから、物語は始まる。
敗者の捕虜ゴート軍の女王タモーラの息子を、見せしめのような形で殺すタイタス。
が、タモーラは、ローマの皇帝の目にとまり、皇后になって一気に立場が逆転する。

タイタスが、タモーラの息子を殺したのは、ある意味正義。
タモーラが、息子を殺されたのは、無慈悲な殺人。

この文章の、「タイタス」や「タモーラ」の部分を、現代に置き換えたら?
「殺した」を、「制裁」とか「いじめ」とか「無視」とか「無関心」に置き換えたら?

その後タモーラは、タイタスの息子や娘を、策略で死に追いやる。

自分が正しいと思ってきたことが、案外人を傷つけているかもしれないし、ちょっとしたことで弱者にもなるし、被害者という名で、復讐意識を持ったりする。

ふと気づくと、加害者にはなりたくない、と思いながら生活している自分がいるが、これだけ複雑な価値観を持った世の中。誰がどうなってもおかしくない。

紀元前の遠い国の話という設定だけれど、案外身近な話なんだなと思います。

小笠原くみこ

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『タイタス・アンドロニカス』『女殺油地獄』公演情報
https://www.yamanote-j.org/performance/7207.html

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