11/03/10
『一年と「The Dead Father」を越えて』
「なんで山の手事情社に来たの?」
この一年間、飲みの席や作業の合間に幾度となく
聞かれた。その度に同じことを答えていた。
「自分が苦手な事を稽古でやるからです!」
大学時代に山の手事情社の『道成寺』に圧倒されたことや、
去年の研修生公演のルパムを見て「あれがやりたい!」と泣いたことや、他にも理由はあるけれど、
一番は稽古メニューの中に「即興」(フリーエチュード)の二文字を見つけたこと。
苦手で、できればやりたくないけど、その先に面白いことがありそうな気がした…
よし、戦地(もしくは地雷原)に乗り込むぞ!!
でも、稽古が始まって「即興」の先には「苦手」が待ち構えていた。
仲間はたったの6人、しかも途中で減って5人。
(後にまた6人になるのだが・・・)
人ごみに紛れることを得意とする私には、逃げも隠れもできない。背水の陣(気持ちは)。
≪フリーエチュード≫なにをやっていたか、やっていなかったかすぐにバレる。
目立たなかったら目立たなかったで凹む。
劇団の本公演の手伝い、作業。
やっぱり紛れることは出来ず、つねに見られている(と勝手に思い込んでいる)感覚に どぎまぎしながら、仕事を探して右往左往。見つけたら見つけたで手をつけていいものか
おたおたビクビク。
再び稽古に戻って、≪ものまね≫ネタを探すのも作るのも演じるのも自分。
結果がすべて自分に跳ね返ってくる創作に、「逃げたい」けど「逃げられない」。
≪研究発表≫≪ルパム≫≪ショートストーリーズ≫
今度はチームで創作。「意見を言わなきゃ」と思っているだけで意見が出せない。
ビビっていたり、思いつかなかったり。
面白いアイディアを出す周りのメンツに恐怖を感じる。
自分がチームにいる意味がないように感じて落ち込む。
さらに、≪ショートストーリーズ≫や≪漫才≫のお題として斉木さんに求められたのは、「自分たちに近しい地獄」いいかえれば「生々しい話」結果一年間の、そして修了公演のテーマ(?)にもなったが、そういうのを見るのも苦手、語ろうにも自分から発信したネタはことごとく「弱い」と言われ、仲間の語る面白エピソードに、「自分は一体なんなのさ…」と今までの自分の人生について、この世に「水田菜津美」という人間が存在する必要があるのか?まで考えて無駄に壮大に落ち込んだ。(「この世」は言いすぎですが…)
ひたすら地味に、じんわりじわじわと「苦手」と付き合い、『The Dead Father』を終えた今。
見えたのは意外にも「芝居の楽しさ」だった。
「出来ない」という「苦手」に飲み込まれて、与えられた事をこなすだけを良しとしていた時、ビビりまくっていただけの時には
わからなかった事。
『The Dead Father』のなかで最高に好きな台詞
「わくわくしなさいよ!」
舞台上では自分が叱咤する側として発して、
でも舞台上の「菜津美」にも、素の「菜津美」にも
自分で言って、自分でズキンとくる言葉だった。
「出来ない」とビビっているときのドキドキと、
「なにが起こるか分からない!」とわくわくしているときのドキドキは、同じもの。どっちの側からみているか、ということだけで。
「俳優がわくわくしてなきゃ、何をみていいかわからないよ!!」
千秋楽直前に麻里絵さんに入れられた活。
最後までビビりが完全には抜けてはくれなかったけど、わくわくした。
この一年で、『The Dead Father』を通して、
露呈した「しょうもない自分」「つまらない自分」でも
「わくわくする事ができる自分」
これからどうやって芝居とかかわっていけるだろうか。
わくわくできるようになった事にかかわる、全てに感謝!!
と同時に、心はすでに次の戦闘に向かってドキドキしてます。
この一年間に植えつけられた「油断ならない…」という感覚、
やっぱりここは戦場でした。
水田菜津美