12/10/15
一番楽しくて一番苦しい時期
ルーマニアの俳優たちが舞台上で《四畳半》で動いているところを見て、これは面白い手法なのだと改めて思った。
それは、まるで子供向けの絵本のような絵面に、複雑かつ過剰な大人の内面が詰まっている。それは美しく、シンプルなのに複雑で、見るものの想像力を刺激する。(もちろん、これは内実が伴わない場合すぐに子供だましの幼稚なものに変貌してしまう危険と隣り合わせであるのだが!)
この様式で何年もやっているのに今頃このことに気づくというのも皮肉な話であるが、ルーマニアの俳優がやることによって《四畳半》というものを客観的に見ることが出来たのだろう。
さて、翻って、ただいま鋭意創作中の元祖《四畳半》である。劇中の人物は簡単には私を近づけてはくれない。考える。頭で、身体で。久しぶりの《四畳半》は私の筋肉に能力不足を伝えてくる。思考が停止しかける。ああ、ルーマニアの俳優に投げかけていた言葉がすべて自分に跳ね返ってくる。
マイ ジョス!(もっと重心を下げて)
マイ クシムチ!(もっと丁寧に)
マイ ターレ!(もっと強く)
私達は総力を挙げて大人向けの優れた、そしてシズル感に溢れる絵本を作らねばならない。
とにかくより良いものに向けて仮定と実験を繰り返すのみである。それは、きっと公演が始まっても繰り返されるだろう。だが、ああ、足腰が・・・痛い・・・。
倉品淳子