公演情報

[2011年]傾城反魂香 ルーマニア公演

構成・演出/安田雅弘
2011年6月2日 国立ラドゥ・スタンカ劇場(シビウ国際演劇祭)
2011年6月7日 トゥルダ市立劇場(トゥルダ)
2011年6月11日 オデオン劇場(ブカレスト)

構成・演出

安田 雅弘

 

ルーマニア公演レポート

一昨年、昨年に続き、当劇団は本年6月、ルーマニア・ツアーを行なった。作品は当劇団の代表作、近松門左衛門の「傾城反魂香」(構成・演出:安田雅弘)。世界三大演劇祭の一つシビウ国際演劇祭に参加し、演劇評論家ジョルジュ・バニュ氏より「今フェスティバルで最高の作品!」と絶賛された。その後トゥルダ、ブカレストで公演。海外初となるこの作品の通し上演は、多くの観客の共感を呼び、内外の演劇関係者からも高い評価を得、大きな成果をあげることができた。

シビウ国際演劇祭

一昨年の「タイタス・アンドロニカス」(原作:シェイクスピア)、昨年の「オイディプス王」(原作:ソフォクレス)に続く招聘。メイン会場で3年連続の上演はヨーロッパ圏を除くカンパニーとしては、初。
公演日…2011年6月2日
会場…国立ラドゥ・スタンカ劇場
客席…320席、満員(立ち見客多数)
演劇祭の特徴…イギリスのエディンバラ演劇祭、フランスのアヴィニョン演劇祭につぐ、東欧圏最大の国際演劇祭。今年18回目。先進的、前衛的な演劇表現を標榜する国立ラドゥ・スタンカ劇場が主催。演劇にとどまらず、大道芸、人形劇、ダンスなど幅広い作品がエントリーされ、参加審査が厳しいのでも有名。3年前に平成中村座が、昨年は青年団、MODE、鳥の劇場などが参加。

近松作品への高い評価

  • 和物作品の上演に不安がなかったといったら嘘になる。登場人物の名前や、当劇団独自の様式による語り口に多少のとまどいはあったようだが、客席は集中を切らすことなく、途中で一人の観客も出ることなく、終演を迎えた。
  • 終演後、カーテンコールは4回。一昨年、昨年のようにスタンディング・オベーションがなかったことについて、フェスティバル・ディレクターのコンスタンティン・キリアック氏は「2階は総立ちだった。1階の客が立てなかったのは、衝撃が大きすぎたためだ。一昨年の『タイタス・アンドロニカス』はよかったが、今回も大きな成果があった、すばらしい」。
  • ルーマニアで大きな影響力を持つソルボンヌ大学教授で演劇評論家であるジョルジュ・バニュ氏からは上述の最大限の賛辞に続き、「手伝うから、フランス・ツアーを実現しなさい」という言葉ももらった。
  • 日本からは演劇評論家の七字英輔氏、扇田昭彦氏、田野倉稔氏、ダンス評論家の乗越たかお氏、研究者の野田学氏(明治大学)、東京芸術劇場芸術監督の野田秀樹氏、せたがや文化財団副理事長の永井多恵子氏らが観劇。公演後、現代版近松作品の海外での成功にさまざまな祝辞をもらう。
  • 国立ラドゥ・スタンカ劇場の俳優たちからは「安田のやりたいことがようやくわかった」「ぜひ一緒に仕事をさせてほしい」といった声が寄せられた。

公演後の反応

  • フェスティバルの顔、日刊新聞「アプラウゼ」[演劇科学生の編集]の表紙をカラーで飾る。フェスティバルの高い評価と話題性の成果と考えられる。
  • 翌日午後、安田はロンドンのリース大学教授ノエル氏によるシンポジウムにゲストとして出席。会場には、「傾城反魂香」を見て興味を持った多くの聴衆が集まった。
  • キリアック氏とバニュ氏より、フェスティバルの18年の歴史の中で、招待した国外演出家のベストスリーの一人に安田が選ばれた。

国立ラドゥ・スタンカ劇場での新作製作

  • 国立ラドゥ・スタンカ劇場より委嘱を受け2012年に安田は、近松門左衛門作「女殺油地獄」を当地の俳優たちとともに製作する。
  • すでに昨年秋より準備のワークショップなどを行なっており、今年末から本格的な稽古に入り、来年の秋、9月か10月に初演を迎える予定。

■トゥルダ公演

公演日…2011年6月7日
会場…トゥルダ市立劇場
客席…400席、満員補助席
備考…人口7万人の小都市ながら、演劇好きの市長のおかげで独自の予算を持つ市立劇場。かつてカジノだったという歴史のある立派な建物を劇場に改築。客席のシャンデリアは当時の物。反響効果がすばらしく、2階席の奥までまんべんなく声が届く。来年以降、国際演劇フェスティバルを開催したい意向。

前日の記者会見

  • 公演前日、市庁舎議事堂で「傾城反魂香」公演についての記者会見が開かれた。不在の市長に代わって副市長、市立劇場館長、コーディネーターのマリウス氏も同席。
  • 十数人のテレビ、新聞、雑誌記者たちが集まり、芝居の内容から当劇団の演技様式《四畳半》のルールにいたるまで、1時間半に渡って会見が続き、期待の高さを伺わせた。

5回におよぶカーテンコール

  • シビウとは違い、とても興奮した客席となる。オープニングのダンスが終わるやいなや拍手が起こり、その後シーンの切れ間にも拍手が起こる。エンディングでは拍手が大きすぎ、俳優が舞台上できっかけを取れなくなるほど。終演後の客席はスタンディング・オベーション。
  • 市長一家、副市長、記者会見時の記者たちも観劇し、「想像を超えていた、面白くてびっくりした」と近松作品に大きく共鳴した様子だった。
  • 館長、マリウス氏からは今後とも当劇団と発展的に共同作業を進めて行きたいとの打診があった。
  • You Tubeで「Yamanote Turda」と検索すると、公演の一部が視聴可能。

 

ブカレスト公演

公演日…2011年6月11日
会場…オデオン劇場
客席…400席、満員補助席
備考…街の中心部に位置する若者に人気の小劇場。市の補助を受ける名門の劇場で100年の歴史を誇り、客席は4階建て。4階の天井桟敷は安全性を考慮し現在は使われていない。芸術監督は演出家のダビジャ氏。ルーマニア国内で演出家賞を受賞するなど人気のある実力派。

日本ルーマニア交流イベントに参加

  • ブカレストで日本ルーマニア交流協会の初のイベントが開催され、公演前日その開会式に参加。現代日本と近松門左衛門のつながりについて短く講演ののち、1シーンをデモンストレーション。参加者から大きな喝采を受けた。

5分間続いたカーテンコール

  • 客席の反応はシビウに近いものがあった。静かな客席にときどき起こる溜息やささやかな笑いを通じて、作品が観客をとらえていることは伝わってきた。終演後、スタンディング・オベーションの中、拍手は5分間鳴りやまず、俳優たちはカーテンコールに応えた。
  • 在ルーマニア日本国特命全権大使の雨宮夏雄氏より、「本当によかった。すばらしい」と感想をもらう。ルーマニアを代表する著名な演出家トチネスク氏は「日本の古典作品の本質が描かれている。非常に面白かった」と。クライオーヴァ・シェイクスピア・フェスティバルの芸術監督ボロギナ氏は「2014年のフェスティバルにぜひ招待したい。シェイクスピアの新作を作りなさい」とのこと。その他有力評論家数名も観劇。感激を口にしていた。
  • 交流協会のメンバーをはじめ、多くの観客から「おめでとう」「すごい」「また来て」といった言葉をもらう。

評論

「さくらの花」

 さくらの花は日本のシンボルである。それは人生になぞらえられ、はかない美しさゆえに愛されている。日本人の考え方のシンプルさ、物事の見方あるいは理解の仕方の寛容さは、予見できない不安からくる恐怖を持つことなく、超自然的な現象を受け入れることに原因していると思う。その生と死にたいする考え方は、西欧人にとっては、原初的に感じられ、それゆえ余計に刺激的である。死者は霊となり、空中を自由にさまよい、愛する人々の近くにとどまる。

 山の手事情社は、このフェスティバルでは常連となっているが、シビウの国立劇場に集まった文化的背景の異なる観客に、日本の典型的な物語を、演出家・安田雅弘が進める《四畳半》スタイルで演じてみせた。役者によって具現化される演技の原則は、ほとんどアクロバットのように、頻繁に短時間止まってはまた動くもので、誰もが会話をする間は、いかなる動きも止めるというものだ。そしてすべての人物が舞台のある場所にグループ化され集まっている。衣装は、日本の伝統の影響を受けたもので、身分の高いヒーローたちは、ゆったりとした着物をはおり、また農民は、簡単に仕立てたみすぼらしい着物をきている。

 舞台美術、装置は、日本演劇の特徴を否定するものではない。最小限主義である。すなわち三枚ののれんからなっており、舞台の背景に並べられ、真ん中のものだけが他のものより1メートルほど後ろに置かれている。これにより役者の出入り口が確保されている。こののれんに、絵や風景の映像が映される。なぜならば主人公が画家だからである。

 画家の名は、狩野元信。この人物は15世紀から16世紀にかけて生きた実在の人物である。彼は一人の高級娼婦と恋に落ち結婚を約しながら、その後経済的な理由からお姫様と結婚することになる。娼婦は、まさに結婚式当日、画家の将来の妻にその夫を49日間借り受けることに成功する。しかし実はその時点で娼婦は死んでいたのであった。元信は結局、彼への愛を持ち続け死後よみがえった娼婦の幽霊と一緒に生活していたことをのちに知る。愛情と献身の融合の物語は、サムライにとって名誉と忠誠が二つの大切な規範であったように、日本文化に特徴的なものである。名誉を保つためのハラキリとは対照的に、堕落した周辺の現実が存在することもまた事実であろう。

 日本の演劇に特徴的なことは、階層の異なる登場人物が複雑に関係することにある。体を売ることを余儀なくされてはいるものの知性的な芸者と、多くの腰元に怠け者と非難されているお姫様が、同じ話のヒロインとなり、ライバルとなる。同じ社会の両極に属する女性が、運命のいたずらによって、一方の幸せが、他方の不幸となる。皮肉にも、愛する一人の男の心にそれぞれがそれぞれの場所を占めるのである。限られた時間を画家と過ごす娼婦。そして結婚の初めの日々を譲ることにしたお姫様。勝利のバランスは、最後まで添い遂げることになるお姫様の側に傾く。にもかかわらず、演出家が考えたフィナーレは、二人の夫婦を待ち受ける「永遠」に疑問の陰を投げかける。本当の愛は、さくらの花のごとく、数日しか保たれないのかもしれない。美しいものは、短命であるのかもしれない。

シュテファニア・ドガリウ(「アプラウゼ」誌 2011年6月3日)

 

「サムライの陰謀物語」

 日本の劇団「山の手事情社」は、ブカレストとシビウでは「タイタス・アンドロニカス」(2009年)、「オイディプス王」(2010年)で知られているが、今回3度目の公演「傾城反魂香」を行なった。前回までの公演を見た観客は、山の手事情社が今回も違う仕掛けを見せてくれるものと、3度目の公演に注目していた。この劇団は、主宰の安田雅弘が学生の1984年に立ち上げ、身体表現の研究により特殊なメソッドを構築した。ニッポンの手触りを感じさせる柔軟な動きは古典作品を再生させ、コンパクトにするのに成功している。この劇団の上演は常にエキサイティングで、専門家の興味をかきたて、観客には古典の新しい解釈と東洋のエキゾティズムへの関心を呼び起こさせる。前回までの公演ではシェイクスピアとソフォクレスというわれわれになじみのある作者の作品だったが、今回、演出家・安田雅弘は、日本では有名であるがルーマニアでは実際の上演よりも活字でしか知られていない近松門左衛門の作品を持ってきた。

 「傾城反魂香」は、1518年に始まる陰謀に満ちたサムライのお家騒動に、高級娼婦による姫の誘拐やサムライのハラキリ覚悟のシーンなどがからみ、近松のお定まりである恋と義理の間で引き裂かれる心を描く。すべての騒動は絵師・狩野元信から起こる。元信は雇い主の姫と高級娼婦みやの2人の女に見初められ、言い寄られる。事件はまた登場人物たちの細かい身分制度から起こる。つまり階級の枠組みによって行動が決められているニッポンの厳格なヒエラルキーから生じる。これらのすべては、次々と味わわされる名古屋山三と不和伴左衛門の間の恋の鞘当て、偽り、嫉妬、また逆に、親切や同情といった人間の本性で埋め尽くされている。観客は、予感と危険、夢と現実、この世とあの世のほのかな混交に迷わされる。もし我々も舞台の上でこの混交を見たら、現実の世界と芸術の世界の交わりを表すこのタイトルの意味がよくわかるだろう。この作品は「死者も生者もみなどこにでも現れることができる」ことを教えてくれ、「傾城反魂香」では、このことは、絵から抜け出て人々に追われる虎に象徴される。いくつかの物語をひもとく文脈の要素としてのおとぎ話ではなく、登場人物が観客に向かって次は何が起こるかを告げる語りにつれてドラマティックな場面が続いていく。パントマイムの要素で二重写しになる瞬間ーー登場人物が見えない鈴の紐を引くとすぐにはっきりとその音が聞こえるようなーーは、想像の向こう側にある世界が鮮やかに立ち現われてくる。コミカルな場面ではこの芝居の妙が完全に味わえる。

 演出家・安田雅弘は、前回までの公演でルーマニアの観客が彼の作法になじんだことを証明した。《四畳半》で繰り広げられる独特な柔軟な身体により、伝統的な要素を現代的な演出構造の中に投げ込んで、近松門左衛門の作品を再生させた。ニッポンの古典的な劇場を思わせる3枚の同じ大きさの大きなパネルは、必要に応じて、寺社の映像などの背景になる。あらゆる旅を表す跳躍は、伝統的な演技では厳格な動作のきまりがあるように、現代的なコレオグラフィーの替わりに使われる。鮮やかな色の着物はラインを形作り、ヘアスタイルはきわめて創造的である。関係性は独自の身体表現である独特な《四畳半》スタイルで示唆されるだけで、ドラマティックな緊張感が舞台上の大きな動きから生み出されて広がっていくようである。対話者同士は決して目を合わさないが、動きは豊かである。俳優の身体は自然な動きをせず、1人又は複数で、あるポーズから次のポーズへと様々なスナップショットをつなげたように移っていく。このような動きで、観客の期待は常に揺さぶられ、騒動が次から次へと続いていく。「傾城反魂香」は再び観客を魅了した。

クリスティーナ・ルシェスキー(「アルト・アクト」誌 2011年6月22日)

 

「『傾城反魂香』のもたらしたもの」 

 ティミショアラで、演技手法が全く異なる二人の役者が出演するパル・フレナクの「ツインズ」の舞台の後、ある人が「持って生まれた才能と技術の違いだ」と言った。この決まり文句は、私も知っている。しかし、この決まり文句はルーマニアの演劇や俳優や選考をする際、頻繁に使われるあまり、この考えから逸脱して仕事をすることを不可能としている。私たちが、持って生まれた才能の相違と重要性を以前から自覚していたとしても、事態の根本的な解決は、どのような舞台を観ているかに関係なく、私の意識の中では常にテーマとなっていた。すでに確立されているシステムや考え方で作品を整理し、記録することは、私にとっては受け入れがたいものとなっていたのである。ルーティーン化しているものから脱却するためには何らかの衝撃がなければ不可能なように、一つのアイディアにあまり長い間留まっていることも皮肉なことに、私たちには許されない。そんなことを考えていた中、私は偶然にもトゥルダ市立劇場で日本の山の手事情社の「傾城反魂香」の舞台を観ることができた。
 
  演出家・安田雅弘によって発展したスタイル《四畳半》で演技する役者たちは、これまで議論してきた私たちが免れないでいた呪縛を解くものであった。日本の演劇においては、二つのまったく異なるものが完璧に融合し、いかなる対立や二極化についての議論の余地も排除しうるのである。結果は、全舞台を通じて反論の余地のない簡潔さ、信じられぬほどの演技力の充実、そして舞台における確実性であり、私たちが多くを学ぶべき内容であった。
 
  基本的には能や歌舞伎の日本の伝統演劇の技術を受け継ぐものであるが、体の限定された動き、強調された発声など、現代の日本人の感性が要求する感情、制約などに即したスタイルである《四畳半》が用いられている。リアリズムの演技法とはまったく別ものであるが、安田雅弘の舞台は、伝統的様式と理解される演劇的特殊技術を分解し、各場ごとに日本の茶室の大きさに演技スペースを限定していくのである(約3メートル四方)。場面ごとにリズムは変化するが、役者たちはつねにコンパクトなグループになっている。「四畳半」とは日本人が、17世紀の初めから現在まで、仕事の話しをしたり、茶の湯など芸術を楽しんだりする空間で、現在でも一般家庭に見られる一つのサイズの部屋なのである。このように限定された空間では、役者どうしの肉体的距離はきわめて狭くならざるを得ず、リアリズムでは演技することができないだろう。体は一貫して不安定な状態にあり、願望と義務との板挟みになっている現代人の状態を比喩的に表している。役者は舞台に立つ場合、普通に立つことを避け、常にバランスを取らなければならない。そして動く時も、同様に、狭い経路を動くようにしなければならない。もしある役者が自分に話しかけて来た時は、動きを止めて、相手の言うことを注意深く聞かなければならない。そして、誰も話しかけてこない時は、《四畳半》の決まりでは、その役者はゆっくりと動き続けなければならない。これらの規則によって、役者のグループの動きはそれ自体一つのコンパクトな器官のように見える。グループが小さくまとまっていること、そして役者一人一人がそれぞれ強調されていることにより、舞台全体を通じて、神経系のような繊細なシステムが働いているように見えるのである。
 
  再び結果について語らない訳にはいかない。「タイタス・アンドロニカス」「オイディプス王」などの作品をヨーロッパで上演した後、安田雅弘は、外国ではあまり知られていないものの、日本では心から愛されている歌舞伎作家・近松門左衛門の作品を独自の山の手事情社スタイルで舞台化しトゥルダにやって来た。「傾城」とは「女郎」そして「反魂香」とは「焚くと煙の中に死者の姿が見えるというお香」のことを意味する。話は、日本の古い話にそって展開する。…(以下、ストーリーの説明のため割愛:翻訳者注)。
 
  もちろん物語はさまざまな局面を描いて展開して行く。たとえば、芸術家の置かれた状況、芸術と政治の関係、社会的な規制など歌舞伎でもよく知られたテーマが扱われている。しかし印象的なことは、舞台で俳優たちの力が大いに発揮されていることだ。俳優たちの動きの完璧なシンクロ化は、全体が一つの自立した存在であるかのように見える。つまり物語という肉体である。そしてそれと矛盾するようだが、俳優一人一人は全体の中で、不可欠な要素となっている。その一見矛盾した事柄が舞台上では見事に融合しているのだ。さらに各俳優は素晴らしい力を持っており、あたかも本能的に演じているかのようである。休むことのない一貫した動き、誇張された力強い発声は《四畳半》がめざすものであろうが、俳優たちの比類なき才能にもよって成立している。このような素晴らしい舞台では、あまりのレベルの高さに、しばしばこれが現実なのかと自問するほどだ。
 
  この実験は一つの成功である。このような舞台をわが国に持ってくることは、幸福を超えた決定であると思う。私たちはもっとしっかりとした目を持つ必要があるだろう。なぜならばいくつかの舞台では、虚無を見つめることとなり、すべてが倒壊するまで黙って待つことになるからである。「なぜ自分たちもこのようなことをやらないのか」と自問することは馬鹿げているのかもしれない。しかし舞台のあった晩、誰でもいい、真剣にそのような問いに向いあったであろうか。このような舞台の後、私たちが自答しなければならない問いは、統一性、一貫性、強固さ、あるいは献身といった言葉と結びついたものでなければならないと思う。

パウル・ボッカ(「アルト・アクト」誌 2011年6月9日)

公演スケジュール・会場

シビウ国際演劇祭
 2011年6月2日(木)19時
 国立ラドゥ・スタンカ劇場(Radu Stanca National Theatre)

トゥルダ
 2011年6月7日(火)19時
 トゥルダ市立劇場(Teatrul Municipal Turda)

ブカレスト
 2011年6月11日(土)19時
 オデオン劇場(Teatrul Odeon)

前日の記者会見

  • 公演前日、市庁舎議事堂で「傾城反魂香」公演についての記者会見が開かれた。不在の市長に代わって副市長、市立劇場館長、コーディネーターのマリウス氏も同席。
  • 十数人のテレビ、新聞、雑誌記者たちが集まり、芝居の内容から当劇団の演技様式《四畳半》のルールにいたるまで、1時間半に渡って会見が続き、期待の高さを伺わせた。

動画

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助成
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