山の手事情社の年間ワークショッププログラムは懐が広い。
自分がどれだけやれるのか、自分がどれだけ変貌できるのか、それを試すために努力する者にはとても優しい。

自分が研修生だった頃のことを思い返すと、特に修了公演間近の時期は、法に触れない限り何をしても良いだろうと思っていた。
気が立っていたのだろう。誰を傷つけても良いと思っていたし、嫌われても良いと思っていた。
そこにオモシロが立ち現れていれば!

散々言われたのは、演技で噛み付いているように見えれば良いのに、シーン中、本気で噛みつくし、稽古で出てくるネタがつまらなければ構うことなくメンバーを罵倒・挑発するし、気に入らなければ研修生担当の劇団員をも批判した。

ともかく怒り続けていた。
こんなものじゃない、わたし達の修了公演は、わたしの仲間は、わたしは、という怒りが自分を支えていたように思う。
付き合わされた人たちにとってはさぞかし災難だったろう。
現に、当時の自分について印象を聞いてみたところ、
「稽古初日にやばい人がいると思った」「あなたが一番怖かった」「爆弾」などなど散々である。

ただ、人が集まれば当然面倒くさいのだ。
あたり差し障りなく振舞ってもどうせ面倒臭いのだから、それならば、正真正銘100%のわたしで向き合おうと決めた。
醜くてもいいから、ともかくありとあらゆる手段を使って、自分のことを伝えようと思った。
そうすれば、きっとそのリアクションによって仲間達のこともより分かるだろう。
その結果としていい創作ができるだろう。
それがわたしにとっての誠実さであり、計算でもあった。そしてこの計算はそれほど外れていなかったように思う。
もちろん運が良かったと言える。山の手事情社と、そこに偶然集まった研修生の仲間達がわたしを受け止めてくれたのだから。
本当に感謝しかない。これからはもう少し、器用に生きたいとは思っている。

こう書くと、もともととても強い人間のように思われるかもしれないけれど、そんなことはない。
実はわたくし、研修生を2年やっていて、これまでに書いた話はすべて2年目の話。
1年目は散々だった。「なにがどうしてこんなに酷いことになったのか」と常に混乱していたし、床を殴りつけて泣いたこともある。
そんな有様だったくせに「本当はわたしこんなんじゃないんだけどな……」とも思っていた。
後悔しても1年目のキミは酷かったのだよ、と今なら当時の自分に言える。
しかし、そんな1年目があったからこそ、2年目は怒りに満ち満ちていたのであった。それでいい。

きっとこの年間ワークショップの門を叩く人たちは「自分を変えたい、変わりたい」と願う人たちでしょう。
どうぞ、変わってください。そのチャンスを幾らでもここでは得ることができます。
少しずつしか進めないかもしれません。でもいいんです。少しずつでも進もうとしているのだから。
やみくもでも不器用でもともかく進もうと手足を動かす人の勝ちです。
そういうことを知っている人たちがたくさんいるのが、山の手事情社です。

健闘を祈る!

2014年度、2015年度研修生 松永明子

私はもともとミュージカルの劇団に所属していました。
ミュージカルの俳優になることを夢見て地方から上京してきたので、その願いが叶い、プロとしてお金をもらう日常を送れることに幸せを感じていましたし、誰でも叶えられるわけではない夢を叶えたというプライドもありました。その反面、その生活に不満をもち、嫌気が差し、果ては俳優をやめてしまおうかというところまで追い込まれていました。
なぜかというと、自分のやっている演技、といわず、歌や踊り、舞台表現の何一つとして自信が持てないからでした。
私は大学のミュージカル科を卒業してそのまま就職したのですが、特に演技についてはなにひとつ教えてもらったことはなかったという感触でした。(いまの講師の方がどうかはわかりませんし、大学生の自分にあまりに感受性がなかったために講師の方々のアドバイスをうまく取り込めなかったということなのかもしれませんが)
呼吸法も発声法もなにひとつ武器として持っていないのに、立ち振る舞いの作法ひとつ身についていないのに、お客様からお金を頂戴している状況に矛盾を抱きつつ、それでも日々のステージはあるわけで、グルグルと暗い渦のなかで過ごしているようでした。
結局はその劇団を退団し、そしてこの研修生に籍を置いたわけですが、そこで明確になったのは「やっぱり私は俳優としてなにひとつ満足にできていなかったのだ」という事実でした。
このワークショップのいいところは、プロの山の手事情社の劇団員の方々と非常に近しいところで稽古が行われ、その直接の意見が聞けることだと思います。
そして、その意見は非常に辛らつで、非常に具体的です。
「お前はこんな技術で俳優としてやっていていいと思っているのか」
「いや、だめだよ」
そんな風に、はっきりと自分の無力さを気づかせてくれるような『俳優』に囲まれます。
山の手事情社の研修期間の厳しさは、フィジカル面としてでもそうですが、実はこの事実に向き合うメンタル面が8割がたです。
自分の存在をいちから振り返り、考えなおし、そして演技の技術を向上させることができる、若い俳優の修行の場なのだと思います。お前は今後、本当にプロの俳優としてやっていくつもりなのかと。
私のような境遇の若手俳優さんは、ほかにもいるんじゃないかなあと思います。
鬱屈している若手俳優さんには、ぜひ経験していただきたい1年です。(もちろん若手でなくても)
そして、手にすることができた確かな気合を持ってして、胸を張って俳優をやっていってほしいなと思います。
こんなに厳しい1年間はほかでは味わえないと思います。
今の現状に満足できない、「プロ」の俳優さん、私は特にそんな方々にこの1年間を味わってほしいのです。

2014年度研修生 鹿沼玲奈

一日体験ワークショップを受けた時は、研修生になるとは思っていませんでした。
当時の体験ワークショップ担当だった浦さんには「大変だから勧めない」と言われていたし、
実際かなり大変だろうことは山の手事情社の公演を見て感じていました。
ただ、もし今の自分を変えたいのなら、変わるための何かはこの場所にあるのではないかとも思いました 。

はたして私などが劇団の研修生になることができるのでしょうか?
そもそも一体どのような人たちが研修生になれるというのでしょう。
大学や専門学校でお芝居を勉強してきた演劇エリート。
身体能力の高いスポーツマン。
柔軟な頭と体を持った若者たち。
そんな中で、ゆるゆると小劇場の舞台に立たせてもらったことがあるだけの私が、
研修生として頑張っていけるのだろうかと不安に思いました。

面接の時、「置いていかれないよう、頑張ってついてきてね」と言われました。
それだけで既に他の人とスタートラインが違う気がして、とても怖かったのを覚えています。

しかしどうでしょう。
プログラムを終えた今、かつての自分に言えることは、
あなたの勘は間違っていない!飛び込んでみて大正解!!
ということです。

必要なのは年齢や演劇経験、技術や能力ではなく、とりあえずやってみるという気持ちです。
課された課題に一生懸命に取り組む情熱です。

とはいえ大変な思いをしたのも事実です。
週3日だけの稽古とはいえ、実際は残りの4日も稽古のことで頭はいっぱいでした。
駅からの帰り道では滑舌を練習し、家では課題発表のことを考える。
時には早めに稽古場に行き、皆で話し合いや練習をする。
目まぐるしい大変な日々でした。

もう一度あの必死な一年を送ることは正直私にはできません。
しかし研修生としての一年は、多くを学び、多くを経験したかけがえのない大切な一年であったことは事実です。

2013年度研修生 松崎亜弥

はっきり言って、人はそんなに
すぐに変われない。
私は研修生としての1年で人生180度ガラッと変わってしまえるだろうと、随分甘い考えをし、期待していた。

そんな短期間でできるものなら誰も苦労しないよと当時の自分にツッコミを入れてやりたい。

稽古さえしていれば、
舞台の上で何にも困らず、何でもできるようになれると思っていた。

そんな魔法の杖のようなものはない。
あったとしてもよほど努力と気が遠くなるような時間をかけないと手に入らないだろう。

亀の歩みでもいい、
できなくてもいい、
それが自分なんだと、
自分を知って、受け入れることから全てが始まると最近ようやくわかりはじめた。

いくら理想を高く持ったところで、
自分が持てる力には限りがある。
そのわずかな持てる力を100%使うことだってなかなか難しい。

そんな葛藤へと続く道の入り口が、
研修生として過ごした時間だったと思う。

2012年度研修生 山下 真央子

きっかけは研修生修了公演だった。
「うわ面白いっ!私も出たい!!」
基礎が欲しいとかレベルアップしたいとかいろいろあるはあるけど。
面白い公演がしたい!って思ったから。

入ってみると、訳分からないことばっかりで。
同じことばを繰り返しながら全力で怒ったり笑ったり。(うまく舌が回らず、ただの雄叫びになった)
泣きや喜びをポーズで表現したり。(滝のように流れた汗が床のかほりの一部になった)
日常の劇的なワンシーンをやれば「ビビットになれ!」
ビビットってなんだよどーすりゃいいのさ!?
面白い舞台を作りたいのにむしろ全然面白くない自分ばかりを発見して。
一緒にやる仲間とも八つ当たり気味にぶつかりあって喧嘩して。
めげるし、しんどいし、稽古場に行く足取りはめちゃくちゃ重いのに、
負けん気で平気なふりをしようとしてた。

そんな塩分過多なちゃんぽんの中で終わってみれば、
いつの間にか戦友意識が育まれ(決して仲良い訳じゃないところがミソ)、
カレー屋さんでナンを食べながら「人間って愛しいよ!」
と叫んで泣ける感情豊かな自分がいた。

欲しかったものを掴めたかはわからないけど、予想外の産物は両手いっぱいもらって。 気付けば何十年と経っていた浦島太郎みたくなってもおかしくないくらい濃い研修期間だった。

私の中で欠かすことのできない大切な2年間です。

2010年度研修生 土方 あいか

2009年、2010年と2年間研修生として山の手事社に所属していました。

なぜ山の手事情社を選んだかと言うのは、
ただ本公演の独特の世界感が好きだったからと単純だった気がします。
研修生の稽古が始まって、身体訓練~エチュード~身体訓練の繰り返し。
基礎を徹底してやってくれます。
私は大学も演劇専攻だったので心のどこかで「そのエチュード知ってるし」とか 「筋トレ面倒・・・」とやる気なさMAXで最初の半年ほど過ごしてたと思います。

研修生は1年後に修了公演をするため作品をつくります。
やっと舞台がつくれる!
これでこそ役者の本業とそこでやる気満々になったのですが、
今までやってきたエチュードを使って繰り返し自分を見ていく中、
どれも中途半端で自分で自分のやってることにすぐ飽きてしまっていました。
そのときに、やっと「エチュードって何のために?」と疑問を持ち
「基礎体力が必要かも」とやっと思ったのです。
思ったときには修了公演もアッと言う間に終わっていて、
このままじゃ舞台に上がる価値のない俳優だ。
と目が覚め、もちろんこのまま終わるわけにはいきません。
そのまま2年目を希望しました。

よく、なんで劇団員を希望にしなかったの?と聞かれますが、
少人数でここまでしっかり見てもらえるシステムは他にはないと思えたからです。
そして2年目をやった価値はあったか・・・もちろん、ありました。
役者には永遠に基礎は付き物ですが、
私は山の手事情社を研修生で終え他の稽古場にお邪魔しても自分らしさをぶつけられるようになりました。
怖くないんです。その場で会ったばかりの人にも食らいつけるようになりました。
もし、役者として仕事をしていくなら出来て当然の事だと思います。
研修生システムは自分に足りない物に気づかせてくれる場所です。
少しでも今自信がないなら騙されたと思って体験して欲しいと思います。

2010年度研修生 御影 桃香

正直研修生稽古は厳しかった。
体力づくりに川原を走ったり、腕立て腹筋背筋などの各種筋トレとか体作りはわりと耐えられる。
しかしエチュード、《山の手メソッド》と呼ばれるものが曲者で、終わりのないアイデア合戦だった。
数回やればコツがつかめてきてなんとかやれるのだが、どうしても最後まで苦手意識を残してしまったものがあった。
たとえば《脱出できない空間》。
外に出ることのできないある空間に閉じ込められた自分たち、メンバーは何とかその場に適応しようと行動を始める。
すると自分か誰かが何がしか理由をつけて空間の外に出ようとする。
それをまた自分か誰かが上手い理由でもって引き止める。
ただこれだけなのだがこいつが難しい。
なぜなら普通の理由つまり面白くない理由では脱出することも引き止めることもできず、 しかもそのままではいつまでも終わることがない。

どんなものかと一例を挙げるなら、私は寒いので火をおこしたい、ライターが外の車に置きっぱなしなので取ってくる。
と誰かが脱出を図ったら普通どう引き止めるだろうか。
我慢しろとか私が持ってるとかだろうか。それじゃあいけない。
大丈夫私は火が吐けますだの爪が火打石なんですだの火をおこせるほど熱い視線を送れるだの今日まで隠してきたけど私は火の神なんですとかそんな風なぶっ飛んだモノじゃなきゃいけない。
これだってOKが出るとは思えないくらいだ。

常識にとらわれていては脱出できない。
まず自分の本来の面白さにいつの間にか絡み付いて思考を貧弱にする常識から脱出しなきゃいけない。
非常に困難な脱出だ。いまだに脱出しきってないだろう。
それを思い知るきっかけと脱出訓練にはたしかにもってこいだと思った。
しかも持ちネタなんてそんなにあるはずもなくしかもうけるとも限らず大抵の場合はその場でネタを瞬時に思いつくより他にない。
その瞬時にネタを思いつくための稽古でもあるのだが、終わりのなかなか訪れないその空間はまさしく《脱出できない空間》。
しかも立ちはだかるエチュードはこれだけのはずもなく、私の脳内新ネタ研究開発課はいつも爆発寸前だった。

2010年度研修生 鯉渕 翼

研修生ってずぶの素人の集まりなのだ。
とりあえず何かを成したいとか、演劇が好きとか、演劇に関わっていたいとか、
自分にやきもきしている奴らが集まっている。
しかも、根拠の無いぼやけた思いばかり。
「経験があって、モチベーションもあります!!」
をどんなにアピールしたって、それは重い武装に過ぎなくて、ただただ脱ぎ捨てる事を要求される。
もともとは演劇なんてする事も無い、観に行く事もまったく無い、素養だってあるのか分からない。
「なんで来たの?」からのスタート。
「いや、まったくだ。でも、居座りますよ。えぇ、なにか?」
で、そのためだけにやってきた東京。初めての一人暮らし・・・つらかった。
エアコンの無い部屋。貯金も無いのに二度の住居移動。ゆえの過密なバイトスケジュール。
こんな生活するはめになった諸悪の根源、主宰の安田・・・が、やっていた「演出家の仕事」という、大阪でのワークショップ。
すごく不完全燃焼で終わった、悲劇のワークショップ。
おかげで、「演劇ってなに?」から「演劇っておもしろいの?」と「もしかしたら、おもしろいのかも知れない」になっていき、
大学で学んだ事をほっぽり出し、親に言わずに研修生のオーディションを受け、やってきた山の手事情社の稽古場。
「高級住宅街にあるのに、これかよ?!」って、勝手に騙されたと思って不安に感じた稽古場。

研修生の一年間。
ブートキャンプのような基礎訓練。
自分の人生の薄さを露呈する《ショート・ストーリーズ》。
すべりにすべりまくった《フリーエチュード》。
一人の同期の独断場になっていた《ルパム》。
胃痛をまねく個人発表の《ものまね》。
「ゲストエチューダー」という、エチューダー以外の劇団員による稽古もあった。
本体の公演では、ベタ稽古から作品が作られて本番に向かっていく様を間近で見れた。
そして、ほとんどのからみは同期のメンバーとエチューダーの二人、それと自分。
笑ったり、腹が立ったり、怒鳴られて凹んで凹んで凹んで、凹む事が気持ちよくなったら終わりだと、どうにかこうにかしようと考え、何度も失敗した。
ひどい時は失敗する事さえ出来ない日もあった。
創作するのは綺麗ごとじゃない自分を見つけて、それを見つめる作業と、現実にするための爆発するような想像力とピュアな興奮を常に用意して燃やしていなくてはいけないと、言うは易し行うは難しの現場だとも知った。
そう、研修生といえどもここは現場で、どこにいようと「山の手事情社」という集団にかかわる事は現場だった。
何かが起きないといけない。起きないなら起こさせないといけない現場だった。
筋肉は無いけど、体力だけはあった、一年。
絶対の無い人生に、最高と最悪が同時にくるような一年。
そして、私は研修生を終えて、まだ一年しかたっていない。
あの一年が今後どうなって芽を吹くのかまだ分からないし、何年か後には何でもなかった一年として生きているかもしれないが、きっとそれは無いだろうと、あの一年のすべての出会いに対して思います。

2010年度研修生 中川 佐織

研修生として送った一年間のなかで、
一番印象に残っている言葉が
なぜか一番腹が立つ研修生仲間の言葉。

「菜津美が一番怖かったよ」

そいつとは色々ありました。
「そいつvs他の研修生!」みたいなこともありました。
話し合いでは、めっちゃ怒る人もいて、きっついことを言う人もいて、そんな中で自分は言いたいことを淡々と二言三言言ったくらい。
その話し合い後、初めてそいつが稽古場に来た時も、とくになんにも言わず、無表情。
ところが、研修生最後の山場、修了公演の大部分をそいつと組むことになり、
なんでやねん!え、もしかして研修生のなかでこいつに一番近いとか思われてる?うわーもやもやする!!と思ったこともあったが、基本淡々と無表情。
でも、修了公演終了後の打ち上げで、そいつに言われた。

「話し合いの後、稽古場に最初に行ったとき、菜津美が一番怖かった。」

「…まじで?」

「般若みたいな顔してたよ」

「………!?」

え!?自分めっちゃ無表情してたつもりだったんですけど!?
もっと怒ってた人ほかにいたよね?きっついこと言ってた人いたよね?
確かに、怒り指数は人生最高潮を記録しつづけてましたけど!
人に対してこんなに怒ることが出来るんだ、って自分でびっくりしてましたけど!(よく考えたらすんごい怒ってるじゃん…)
それでも、とくに何も言わず、能面かぶってたんですけど!
けど…そっか、なぁんだ、本音ってバレるんだ。
妙にそんなことに納得した。

稽古場でむき出しになっていく個々の本性。
本性がぶつかり合って生まれるなにか。
そんな中で言われ続けた、「もっとやればいいのに…」
なかなか脱げないつもりで、実は必至で死守してた自分の皮がシースルーだったなんて…馬鹿か自分。

一番腹立つやつの一言が、自分の研修生としての一年を表わす。

なぁんかなあ…

けど、濃くて、濃すぎて、濃厚すぎて、
未だに思い返しては、消化中の山の手研修生としての一年間、
今はそんなことを思い出したりする。

やっぱり、なぁんかなあ!

2010年度研修生 水田 菜津美

修了公演『春琴しよう』の一場面「20代と30代の闘争」で演出の岩淵さんがしばしば「突然の嵐が舞台上に吹き荒れるように」という言葉で僕らにイメージを伝えてくれました。
研修生として過ごした一年間を振り返った時、その言葉が脳裏に浮かびます。
何より苦労させられたのは、修了公演が恋愛に纏わる物語だったことです。
ちゃんとした恋愛なんてしたことのない自分の役が「告白」をする人。無茶だって!逆ギレしていたのを思い出します。
厳しい稽古のなかで僕の心は暴風のように壁を吹き飛ばされ、傷をほじくり出された挙句、見たくもない自分と向き合ってきました。
しかし、そのおかげで最後には裸の自分として舞台に立ち、届くはずの無い「告白」を命がけですることが出来たと思います。
役者としても、一個の人間としても、かけがえの無い瞬間でした。

2009年度研修生 高橋 真人

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