14/06/08
『ド近眼一葉』
樋口一葉はド近眼だったらしい。
なのに眼鏡をかけたがらず、本を読む時も張り付くようにして読んでいたらしい。 (先天的なものではなく本の読みすぎなどの後天的なものだったようだが)
一葉の父が死に、戸主となり、家族を支えて行かねばならなかった当初は着物を縫って稼いだそうだ。が、彼女にとってもこの時代の夜なべはかなり酷だったろうと想像する。今の様に電気も無く、恐らく蝋燭か月明かりを頼りに仕事を進めていたのだろうから…。
「そんなに見えないのなら眼鏡をかけようよ」と言いたくなる。
『歌がるた取りのとき、近眼の一葉がかるたに頭を近づけるため、ほかの人から見えなくなってしまうのです。「かるたが見えないので眼鏡をかけてちょうだい」と注意したものの、一葉は頑として眼鏡をかけようとしなかったといいます。』 というエピソードも残っている。
何故こんなに頑なだったのだろう。
眼鏡をかけたくない=彼女の美へのこだわりだったのかもしれませんね。
そんなド近眼な一葉も女を感じさせるエピソードがある。
半井桃水という人物に恋するのだが、会いにいく前日は湯屋に行ったり、当日は髪を結ってもらったり、着物の帯締めの房に湯気を当てて整えたりと、一丁前にデートの支度をしている。
はたして、眼鏡をかけないで桃水会いにいったのだろうか?
どうやって好きな人の顔を眺めたのだろう。
熱い思いを内に秘めながら… 目の悪い人独特の細め(見えない時に目を細める仕草) で憧れの人を睨んでいたのではないか?!
それとも距離感がおかしい人(見えない為近づきすぎてしまう人) として面会していたのでは?
などと想像すると… 桃水さんもたまったものではなかっただろう。
私もド近眼であるからかけたくない気持ちはよくわかる。眼鏡は(得に度数が上がると) 肩こりや頭痛など一葉も苦しんだ症状が起こる。まして好きな人の前では牛乳瓶の底の様な眼鏡はかけていたくない。
しかし、目が悪いのもマイナスな事ばかりではなかったと思う。
目が見えないなりに身体中で何かを感じ取ろうとして、普通だったら見逃してしまう世界を敏感に捉えられたのではないだろうか。耳が発達して色んな話がよく聞こえたのかもしない。日本人独特の空気を読む天才だったかもしれない。少なからず彼女の作品に影響を与えたはずだ。
調べるにあたり、彼女なりの美学、貫き方が垣間見え、ただの“5000円札の女” ではすまなくなった。そしてそんなド近眼一葉に親しみを感じている自分がいるのである。
今回は一葉が生み出した『にごりえ』を通して、自分達の内部に迫っていきたい。
植田麻里絵
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより