14/06/04
『にごりえの時代と風景』
『にごりえ』に取り組みながら思うこと。
男は仕事がダメになると自分もダメになる。
女は親に恵まれないとダメになる。という仮説。
これには普遍性があるのではないかと・・・。
ところで、みなさんはどんなお家に住んでいらっしゃいますか?
一戸建て、マンション、アパート・・・
明治時代都市部でもっとも一般的だったのは「長屋」でした。
長屋って江戸時代の話なのでは?
いや、昭和の戦前まで庶民の多くは長屋住まいだったそうです。
町の表通りには商店など店舗付きの表長屋が軒を連ね、路地裏に長屋が建ち並んでいました。
間口9尺(約2.7m)の玄関を入ると、1.5畳の土間があり、その奥に4畳半というのが一般的なタイプです。ここに家族で住んでいました。
自分だけの部屋なんてあり得ません。
共同トイレ、風呂なし、入浴はたいてい銭湯でした。
『にごりえ』に登場する源七、お初の夫婦もかつては裕福でしたが、源七が菊の井のお力に肩入れしすぎたため破産して、いまは貧しい長屋住まいをしています。
とはいえ、当時東京にはもっと貧しい暮らしをする人々がいて、貧民窟といわれるスラムを形成していました。
たった3畳の広さに6、7人で住んでいたり、木賃宿という安宿に寝泊りして日雇いの仕事など、その日暮らし。
軍隊の施設の近くに多かったようです。
何故かというと、そこから出てくる残飯を食料にしていたからです。
かつて陸軍士官学校のあった神宮外苑のあたり、海軍大学校のあった浜松町の近くに大きな貧民窟がありました。
こんな環境で家庭をもったら、それこそ大変です。
その日食べるものにも苦労するというのに、男は借金してまでもお酒をがぶがぶ飲むそうで、居酒屋は毎晩大賑わいだったそうな。
上野駅のすぐ近くにも大きな貧民窟がありました。
地方から出てきた女の子がひとりでいると男が声をかけるそうです。
割のいい仕事を紹介するから、と。
今でもありそうな話ですが、たくさんの女の子が売春婦に身を落としていったそうです。
多くの子が梅毒にかかり20代のうちに命を落としたそうです。
『にごりえ』の舞台である銘酒屋も非公認の売春宿です。
お力がどんな経緯で酌婦になったのか具体的には明かされませんが、両親とも貧しく、早くに亡くなって悲しかった思い出は明かされます。
女がひとりで生きていく時の選択肢は本当に少ない時代でした。
そして樋口一葉の生きた明治中期は、経済が急発展し、日本が戦争に邁進し始めた時でもあります。
ああ、近頃のニュースを彷彿させるような。
人々は毎日命がけで暮らしていたのではないでしょうか。
そんな時代の空気感なんかも描けたらいいなあと思います。
越谷真美
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより