09/06/28

タイタス/ルーマニア

ルーマニアで感じる日本

■四季
シビウでは冬。ブルチャでは春。ブカレストでは夏。
一年かけて感じる四季を、二週間で一気に感じました。
本当はそんなに寒くないらしいのですが・・・
やっぱりどこも異常気象なのでしょうか。
■土地
これはとても個人的な感想なのですが、
観光地シビウは大阪、ブルチャは地元香川、
ブカレストは東京、という感じでした。
あくまで個人的な感想です。
■ことば
日本に興味を持っている人にたくさん出会いました。
ルーマニアのテレビでは日本のアニメが
放映されていました。
(らしいです。私の泊まっていた部屋では
どのチャンネルをみてもやっていなかったのですが・・・)
日本語が話せる人もたくさんいました。

あぁ、日本でいうと○○だな、となにかと日本に
置き換えたがるうじけです。
思ったよりなんでも置き換えることができてしまい、
日本では見ないなぁと思うことは少なかったです。
それでも、「これは日本にはない!!」と思ったこと。

■犬
野良犬が多い、というのは観光ブックを読んで
知っていたのですが。
犬がでかい。
普通に大型犬がごろごろといました。
野良です、野良。
でもおとなしい。
飼い犬のほうがワンワン騒いでて、立派な番犬としての役割を果たしていました。
■裸
観る芝居観る芝居、脱いでましたっ!!
それだけ自信がある、役者である、
ということなのですが。
5本観て4本裸・・・。
これは日本ではないと思います。

ほかにもいろいろと、いろんなことを思ったのですが、
まとまりきらないので・・・。


氏家綾乃

09/06/27

タイタス/ルーマニア

三時間真っ裸!

帰国してから10日も経つのに、全然時差ボケが
治りません。
あれほどルーマニアでは飛び回っていたのに!
まるで抜け殻です。
三都市6公演、しかも二都市は初日に劇場仕込みを
してその日のうちに本番という過酷なスケジュールを
無我夢中でこなし、尚且つ6本の芝居を観て、
ルーマニア人と酒を飲み、ちゃっかり観光や買い物も
するという、非常に盛り沢山のツアーでした。

その中でも印象に残っているのは、シビウ演劇祭の
イタリアからの参加作品『メディア』の観劇です。
夜十時から約三時間にも及ぶ作品で、終わるのは
夜中一時を過ぎると言われ、悩んだ末観劇。
そのオープニングで私の心は鷲づかみにされました。
結婚行進曲とともに舞台にスポットライトが当たると、
そこには真っ裸の男女の姿が。
曲に合わせて前に出てくるのですが、なんと女性は
男性のイチモツを握っているのです。
二人とも幸せそうにはにかみながら歩く姿を見て、
私はこの作品を最後まで見ようと決めました。

基本的に役者はみな裸で、ベッドを組み立てたり
じゃれあったりストーリーはなんとなくあるような
ないような感じでしたが、とにかく長い。
休憩の度にお客は帰り、最後まで残ったのは
五分の一もいなかった気がします。
私も、途中何度も睡魔に襲われました。
しかし、一幕の終わりで(恐らく)夫の心変わりを知った
メディアがスカートワンピースのような衣装を纏って
(恐らく)ショックと悲しみと怒りを抱えながら
ただひたすらに回っているシーンを観て、
やはり最後まで観ようと決めました。
猛烈な悲しみが、そこにはありました。

やはり期待は裏切られませんでした。
終焉に差し掛かったころ、メディアが白い
ウエディングドレスを着て舞台中央に垂れ下がる
白い布を手繰りながら、まるで天国へ昇るように
登っていくシーンは目に焼きついて離れません。
背中のチャックは開いたまま、特別に髪を結うでもなく
ただ羽織っているだけなのに、まばゆく輝くメディア。
あれだけ裸で三時間動き回っていたのに、体操選手の
ようにすいすいとのぼってしまう女優さんの体力と
気力はすさまじいもので、私はその圧倒的な存在感に
打ちのめされました。
そうだ、こうあるべきなんだ!

その夜、興奮してあまり眠れませんでした。
果たして自分はどうだ。。。。。。?
あとは心に止めておきます。


三井穂高

09/06/26

タイタス/ルーマニア

途上

ツアーの先々で会った人々の素晴らしい厚意や、
ラドゥ・スタンカ劇場やアリエル劇場など
ルーマニア演劇のレベルの高さ・環境のよさや、
スタッフ・劇団員・研修生たちの献身的なサポートに
ついてはきっと誰かが書いてくれるでしょうから、
僕は自分のことを。

ああ、途上だなと実感したツアーでした。

旅のあいだ、サターナイナスという役を通じて、もの凄くいろいろなことをいつもより深く長く考えさせられました。

身体の使い方について、声の響かせ方について、
キャラクターの作り方、演技の組み立て方、
観客への見せ方
いま自分がやっていることでは何故いけないのか、
足りないのか
何がこの作品に、あるいはこのスタイルに必要なのか不要なのか、何故必要だったり不要だったりするのか
いまやっていることは面白いのか面白くないのか、
観客にとって俺は面白いのか面白くないのか、自分のなかでは面白いのかどうなのか
劇的なスローモーションとは何か、止めているけど
内側は凄く動的な状態とはどんなか
相手役に語るってどんな状態のことなのか、観客と
関係を持つってどんな状態のことなのか
リラックスとは何か、集中とは何か
観客の想像力を喚起するってどんなことか、魂の入った状態ってどんななのか
演出家や共演者のアドバイスに耳を傾けることが
どれだけ大事か、傾けつつも自分のインスピレーションに従うことを諦めないことがどれだけ大事か

演劇とは何か、自分にとっての演劇って何なのか
あれは演劇か、これは演劇か、演劇じゃないとしたら
何なのか
自分の好きなことや自分の正しいと思っていることは
何か、それらはやるべきことなのか、やっても許される
ことなのか

今まで考えてきたり実践していたことじゃ足りないんじゃないかという不安のなかで、とにかくいろいろなことを
実践し、考えまくったのだけれど、そして
いろいろな言葉や感覚に辿り着いた気が
するのだけれど、

…なんだろう、書けば書くほど自分の心中から遠ざかるこの感じ。

それはきっとまだ途上だからで、
途上と感じられるということはある道を
進んでいるわけで、
つまりはタイタスのルーマニアツアーは終わった
けれど、僕の旅はまだまだ続いているわけで、
答らしきものが出るまでは
「こんな問題を見つけました。問題に向かうことは
幸せですが答はまだ出せていません」
という報告しか出来ないのだなと。

それでも、いくつか答らしきものは出ました。

ひとつは、自分が山の手事情社で育ったことを認めたり誇ったりしてもいいのではないか、ということ。
ここ数年いろいろな理由から、ちょっと過剰なくらいに
「山の手を尊敬しつつも、方法論としては山の手が
やっていないことをする」ことを自分に課していたの
だけれど、もうそうしなくてもいいのではないかなと
思うようになりました。
つまり、以前ほど密接でなくても僕は山の手の
人間だし、僕にとってのルーツ(土台)は山の手だし、
思想的にも演技的にもここが唯一のホームなのだと
認めること(つまりありのままの自分を認めること)を
しないと、これから出会うであろう他の方法論にも
全身で向き合うことは出来ないのだと、ようやく
気付きました。

もうひとつは、俳優は緊張感のなかに身を置いて
ナンボだということ。
東京でも頑張っている俳優はたくさんいますが、
一方でいろいろな言い訳や妥協や手抜きで緊張感を
目減りさせている俳優もたくさんいます。
僕なんかも後者の一員で。
真剣にやってるような顔をしていても、この程度の
プレッシャーをキツいと感じただから、今より上の
レベルに行くなんて到底夢のまた夢で。
こんな僕でもこのツアーのような緊張感のある土俵で
手を抜かず言い訳をせず逃げ道をつくらず向き合う
ことで、少しは真剣勝負が出来たという手ごたえを
感じることは出来たのだから、東京に帰ってもそのことを
忘れないようにしないと話にならないわけです。

まとめると、自分としてはこのツアーで結果を出せた
わけではないけれど、次の扉への地図は手にしたぞ、
という気分です。
次の何年かが僕にとって勝負なのだと思います。

そしてたぶん、山の手にも似たようなことが
言えるのではないかと。

これからの山の手事情社やメンバーの活動を、
どうかお見守り下さい。


山田宏平