14/01/15
『従僕スガナレル』
ドンジュアンという人物はかなり風変わりで破天荒な人物だけど、その従僕のスガナレルという人物も不思議な人間だと思う。
主人のドンジュアンに振り回され、ひどい目にあわされ、
「こんな旦那に仕えるくらいなら悪魔の手下になった方がまし」
とさえ言っているのに、けっして主人の元を離れようとはしない。
なぜスガナレルは主人を見限らないのか。
この問題はモリエールに関するいろんな本でもたびたび出てくる話題ではある。
逃げ出したくても怖くて逃げられないから、あるいは主人のことが大好きでストレスを凌駕するほどの魅力を感じるから、あるいは給料をもらっているから…など、いろんな表面的な理由は考えられる。
しかし結局のところ、スガナレル本人にもそのことは分からないのだと思う。
なぜ主人に仕えて続けているのか分からないから仕え続けているんじゃないか?
僕はそう思っている。
つまり主人に仕えている意味を見出すために仕えているんじゃないか?
なぜなら人は普通そういうものだと思うからだ。
実社会でも人は自分の属している集団で少々嫌なことがあったりストレスがたまったりしても、そう簡単に関係をリセットすることはない。
仕事や芸事や友人関係などでも同じだ。
生活のためとか好きだからとかいう実際的な理由もあるが、本当は分からないのだ。
その場所にいることにもっともっと深い意味を見出したいのだ。
なぜこの人たちとつきあい続けているのか…。
なぜこれを探究しているのか…。
なぜこの仕事を続けることになってしまったのか…。
そういうことはだいたいかなり後から分かるようになっている。
ああ、この仕事につくことは必然だったんだと。
今回の「ドンジュアン」のお話は事実としては約一日の間の出来事だけれども、その間にドンジュアンは長い長い思索の旅をする。
スガナレルも主人に仕えている長い年月の間に、彼なりの頭で思索の旅を続けたのかも知れない。
スガナレルの不思議さは僕ら現代人の似姿なのだと思う。
山本芳郎