07/07/25

YAMANOTE NIPPON

体感温度

暑いですね!
蒸しますね!
公演直前とはいえ、稽古場についての第一声は、やはりこの言葉だったりします。
暑いのは苦手ですがクーラーも決して得意でない亜紀です。

本日もプレ公演本番にむけ、少しずつ作品を構成していきます。
今までの稽古を踏まえた、安田さんの頭の中のものが少しずつ立体化されていきます。

そんな中、激しく動いてる人、ゆるやかに動いてる人、止まっている人(今日はエンブ生の方も見学にいらしてました)等々が入り交じり、また当然、暑さが平
気な人苦手な人、クーラーの好き嫌いもございます。

私は座り位置がクーラーのスイッチのすぐ側だったのですが、稽古が熱をおびるにつれて、色んな方がクーラーのスイッチをさわりに来ます。
入れ代わり立ち代わり。

『暑くない?』
『切っていい?』

切った直後に別の人が入れにこられたり‥。
私も様子を見て付けたり消したりしてみましたが、こうなるともう感覚は人それぞれ。クーラー対策に上着をはおる人もあり、正解。稽古場中からくしゃみや鼻水がきこえます。

夏の稽古は、暑さとクーラーとの戦いですが、くれぐれも皆さん体調をくずしませんように‥。
しかし、今日もまたこんな稽古場から新しいものが生まれてきています。ご期待くださいませ。
では、皆様もくれぐれも体調にはお気をつけて。

柿本亜紀

07/07/25

YAMANOTE NIPPON

モンタージュ??

世間は夏休みに突入したようですが、プレ公演まで2週間を切っ た稽古場は、無休期間に突入した模様。

今日から構成が始まりました。
いつもと少し違った様子で構成が進んでおりますが、ふと、モンター ジュ写真の作成現場を思いました。
えぇ、見たことなんてありませんけれど。

例えば。
目はこの形だけど、瞼は二重じゃなくて一重かも。
耳の位置はここだと思う。
唇の上下厚さはどうだった?
鼻は少しだけ顔の中心線より左寄りじゃないかな。
髪の毛は……
睫毛、ちょっと多すぎるんじゃないの??

どちらも『構成する』という作業。
共通していて当然ですね……

さて今回はどんなモンタージュ写真ができあがるのでしょうか。
タイトルはもちろん「摂州合邦辻」。
漢字の羅列は読みにくい。
訳してみれば、「摂州(大坂)に居る合邦さんちのお辻さん」。
合邦さんとお辻さんの家庭の事情です。

合邦さんとお辻さんの間に一体何が。
それを取り巻く人々との間には一体何が……

続きはプレ公演、更には3ヶ月後に劇場で。


櫻井千恵

07/07/23

YAMANOTE NIPPON

みやの熊野詣で

 ここ2〜3日自主稽古だったので、「摂州合邦ヶ辻」の稽古はお休みして「道成寺」と「傾城反魂香」の稽古だ。
初演のビデオを見ながら動きや段取りを思いだしたりしている。映像が暗かったり、見たいところが映ってなかったりで、シーンの形を再び立ち上げるのは結構しんどい。さながら発掘作業に近い。
ホントは内心、ゼロから考えた方が早いよと思っている。
8年前の自分なんて別人だ、というかそうありたいと思っている。
まあ、ともあれセリフを入れねば・・


・・・何も書くことがないので、熊野について・・


二つの作品でも触れられてる紀州熊野という場所。
僕は好きで何度か行っている。
他の観光地と比べても格段に強い霊気を感じるけれど、一番面白いのはやはりそれ自体が世界遺産になってしまった熊野古道。
三熊野詣でもしたけれど、古道を歩くまではホントの熊野詣での良さもわからなかった。
写真やガイドで様子は知っていたが、実際に歩いてみて初めてわかった。

何も考えなくなるのだ。

おいしい空気や鳥のさえずりなんかにウキウキするのは、最初の15分くらいであとは体力や忍耐力との駆け引きがあるのみ。
自然に何も考えなくなる。考えるとキツイのだ。
それも1時間くらいなら森林浴レベルだが、実際は一週間くらいかけないと踏破できない。
そのうち歩いているということも忘れる。

何も考えないだけなら、電車の中や川べりでボーっとしてるときも考えてないかもしれないが、ちょっとレベルが違うと思う。
積極的に考えないという状態に深く深く入っていく仕掛けなのだ。
座禅や瞑想の歩き版だ。
これはものすごい癒しだったはずだ。

考える、つまり欲とか恐怖とか愛とか憎しみとかがあるから苦しい。
苦しいからストレスになる、ストレスが次の煩悩を生む。
この循環を断ち切ることが当時の人たちにとって神仏に少しでも近づくことだったんだろうと思う。
つまり熊野古道自体が「考えるということからくる苦しみ」から逃げるためのアトラクションなのだ。
そうでないと、船で行けばすぐの場所に、現世の欲望は満たしているはずの天皇陛下までがわざわざ一ヶ月以上もかけてすさまじい難路を歩いていった理由がわからない。

「現代人のストレス」などとよく言うが、現代人にそんな大したストレスがあるとは思えない。生命力のなさをそんな言葉で言い訳しているだけのことだ。
昔の人は、身分に関係なく自分の死がいつ来てもおかしくない。
いつ病気になるかわからない、いつ大雨や地震なんかの天災に見舞われるかわからず、いつ日照りや冷害で作物が取れず、飢饉が襲うとも限らない。
ものすごい貧乏。
俺たちからは想像もつかないストレスだと思う。
普通に考えればわかることだ。
それでもそれに打ち勝つだけの生命力みたいなものをもっていたように思う。
古典の中の人物には典型的に描かれている。

それだけの生命力とストレスをかかえて生きていたから、それに見合うだけの「癒しのイベント」を作り出したのだと思う。
当時でもストレス解消的な楽しみはいろいろあったんだろうが、現世の楽しみは次々と欲望と苦しみを作りだすだけ。
熊野詣での「考えない」という祈りの癒しにはかなわなかったんだろうな。

女郎として生きたみやが熊野に行きたがったのも単なるお礼参りじゃないと思う。
お礼参りや元信との新婚のデートなら近くの神社や祇園の祭りでも充分現世の楽しみは味わえる。

山本芳郎