10/08/06
シビウとペーチで感じたこと、得たもの。
今年の5月30日、山の手事情社はルーマニアのシビウ国際演劇祭に、また6月3日にはハンガリーのペーチ演劇祭に参加することができた。旅程にすれば12日たらず、両都市で1回ずつ、たった2回の公演ではあったが、それでも感じたこと、得たものは多かった。
シビウ国際演劇祭との出会いは3年前にさかのぼる。一観客として視察したのだが、予想を裏切る、あまりの面白さにびっくりした。その年、この街が欧州文化首都に選ばれていたことも、内容の充実に大いにあずかって力があったと思う。規模や期間はフランスのアヴィニョンやイギリスのエディンバラなど、いわゆる老舗の演劇祭にはおよばないものの、わずか14回目でありながら、フェスティバルをいろどる作品の、ヴァリエーションの豊かさとレベルの高さに舌を巻いた。世界三大演劇祭の一つに数えられるようになったのもうなずける。
一言でいえば、シビウは「演劇にしかできないこと」に満ちていたのである。それは偶然でなく、演劇祭運営の哲学として徹底され、一貫していた。古典に材をとった作品が中心でありながら、既成の表現に対するさまざまな挑発が、演出のみならず、その要求に応えるスタッフワークや俳優の作業にもみなぎっていた。
演劇が息づいている場所で感じる独特の興奮に私は久しぶりに身をひたした。それはわが国ではほとんど味わうことのできない種類の興奮である。自国の言語の響きと音律の美しさを、人間存在の矛盾の暴き方を、各国の演劇人が全力で競いあっていた。オリンピックとはまたちがう意味で、人間の尊厳と愛おしさをあらためて感じさせてくれた。演劇にそういう力があることを、大半の日本人は残念ながら知らないのである。仮に、読書の楽しみを知らない同胞にいだくであろう悲哀といらだちを、海外で面白いフェスティバルに出会うたびに私は感じる。ミハウ・マニウチウの『ヘブライ三部作』やアンドレイ・シェルバンの『かもめ』など、その後の私の演劇活動の指標となる作品と出会えたことも大きな収穫となった。
すごい! ぜひ出たい! と参加希望の意向を打診したところ、さいわい昨年『タイタス・アンドロニカス』を上演するはこびとなった。シェイクスピアの原作を「テロリスト誕生」の物語として解釈しなおしたものだ。公演場所がメイン会場であるラドゥ・スタンカ劇場になったことは、大きなプレッシャーであるとともに、かけがいのない喜びともなった。メイン会場での公演は、おもだった関係者の目に必ず触れること。またさきほどの演劇祭の哲学は、参加団体や上演会場の選定におよんでいて、メイン会場での上演は、それ自体大変な名誉だからである。
終演後、演劇祭の理論的支柱である元ソルボンヌ大学教授で演劇評論家のジョルジュ・バニュ氏から「今年一番の収穫」と絶賛されるなど、望外な好評を得ることができた。結果、海外のカンパニーとしては異例ながら2年連続で、本年もラドゥ・スタンカ劇場で公演できる僥倖にめぐまれた。ギリシア悲劇の名作『オイディプス王』(原作:ソフォクレス)を現代女性が見た悪夢という設定で上演し、昨年におとらぬ大きな反響をよぶことができた。
シビウでは昨年も今年も「乗り打ち」であった。朝、劇場に入り仕込みを行ない、その日のうちに本番を迎えるのである。国内でならばそれほどでもないこの「乗り打ち」が、ルーマニアでは大変な作業になる。言葉と習慣の違いからである。通訳を間にはさんだ仕込みはふつうに考えても、通常の倍かかるが、それだけでなく、劇場文化が違うためにさらに時間を要する。たとえば事前に正確な劇場図面が手に入らない。あっても略図であったり、平面図だけだったり、しかもその後工事があって、実際とはちがったものになっていたりする。よぶんな人員を連れて行けないことから、ほとんどの仕込みは俳優が兼ねる。仕込みの合間にメイクをし、リハーサル。照明や音響の調整を終えると本番である。観客は目が肥えているうえに一発勝負。結果的には、この試練が一番劇団員を鍛えることになった。
翌々日、ハンガリーへ移動。高速道路の入口のような国境をまのあたりにして、紛争にあけくれたヨーロッパの歴史を思わずにはいられない。このような国境であれば、武力を野心さえあれば、おかして当然であろう。自国の美しいしぐさや言語を守るために演劇は必須の文化的武装であったにちがいない。ヨーロッパの演劇振興の一因はそこにある。
ペーチはハンガリー第4の都市で、今年欧州文化首都に選ばれている。3年前のシビウの興奮が、今年私をペーチにひきつけたといっても過言ではない。街の中心部に立派な国立劇場がある。ヨーロッパでこの規模の都市ならば珍しいことではない。日本に暮らしているとまったく理解できないが、国立劇場があるということは、そこに所属する専属の俳優やスタッフがいる、ということなのである。彼らは年間を通じて、おもにその都市の住民に対して、公演やワークショップなど、さまざまな演劇的サービスを提供する。この街ではハンガリー最大の国内演劇コンクールが開かれる。昨年中に15本ほどの国内劇団が選抜されている。私たちはコンクールには参加できないものの、唯一の海外ゲストとして招聘される名誉に浴した。
第三劇場という歴史ある会場で、さいわい「乗り打ち」でなく、前日から仕込むことができた。はじめての国であり集客を心配したが、ふたをあければ満員の客席で上演することができた。終演後、シビウではスタンディング・オベーションとなるのだが、ハンガリーでは誰一人立つことなく、全員が拍手をそろえる。どうやらそれが賛辞の表現のようで、隣の国でありながら、観客の文化はさほどに違う。
国内最大のフェスティバルということもあって、滞在中に見た芝居はどれも満員であった。ブレヒトの『アルトロ・ウィ』や、ゴーゴリの『検察官』など日本でもなじみの作品が、ときには斬新に、ときには伝統的に演出され、たくみな俳優たちによって大いに客席をわかせていた。おしむらくは、国内演劇祭であるため、字幕など一切他国人への配慮がなされていなかったことだ。ハンガリー語の難解さとあいまって、原作を知らない作品は理解するのに骨が折れた。開演前に劇場でならんでいると、多くの観客に呼びとめられ、(おそらく)「あなた方のお芝居、面白かったわよ」と声をかけられた。何ということのないやりとりではあるものの、そうした交流もまた日本ではなかなか体験できないものなのである。
安田雅弘
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