11/02/07

The Dead Father

『修了公演にまつわる話〜研修生編』

「サバイバル」
今年もサバイバルが始まる。
自分の時もそうであったように。

冬の訪れはサバイバル開始の火薬のかほり。

それまで各自の鍛練・レベルアップに当てられて、どこか緩やかに感じられていた時間の流れが一気に変わる。
そりゃそうだ。 研修プログラムの集大成とは言え、「発表会」ではなく、お客様からチケット代をいただく「公演」なんだから。
ルールは簡単、面白ければ舞台に乗る、ダメなら退場。 まさにサバイバル。
しかしこれが楽しい。 メンバーの足を引っ張り合うのではなく、どれだけ自分の最大限の力を出して生き残れるか。
「オレ、今生きている。」いや、大袈裟じゃなく。
泣く者も続出。 でも構わず行軍は続く。 うん、それも気持ち良い。 俺がダメな時は、置いて先に行ってくれ。 もちろん。
より神経を研ぎ澄ます為、稽古中の食事を控える。 稽古後も、翌日また一日稽古で気を抜けないので食事をとらず寝る。 痩せる。
本番二週間前、さすがに体力がもたなくなる。 肉を欲す。 体が肉を求めている。
稽古帰り、肉を食す。
翌日から下り坂。 本番一週間前に絶不調。
肉を食べると幸せな気分になり、満足してしまうからか…
おぉぉ…ここへ来て…

僕の時はこんな戦いをしてました。 勝手に。
今年もそれぞれの戦いがあり、そのサバイバルを勝ち抜いたモノが舞台上に乗るのです。
二月の最終週、何が現れるのか。
楽しみです。
文秉泰

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11/02/06

The Dead Father

『GIANT KILLING』(ジャイアント・キリング)

お前は今、本当に回りが見えているか?
と、時々、自分自身に問う事がある。それも意識的に。
そうしないと、いや、そうしても、手遅れになってる事がしばしばあるからで、僕はまぁ、ちょっとした事で一杯一杯になってしまう人なのだ。
目が泳ぐのなんか朝飯前で、体が硬くなるわ、つられて心も硬くなるわ、そしたら余計にテンパり出して、延々繰り返してしまう。
いわゆる、チキンハートである。それも重度の。

『GIANT KILLING』(監督が主人公のサッカー漫画。大好きです。)の登場人物、椿大輔。
彼もまた、チキンハートの持ち主です。どの位チキンかというと。
監督に自主練を見られた。それだけで、もうヘマだらけになるほどのチキンっぷり。
他にも、試合中の出来事で、自分が何とかしなきゃという強迫観念にかられた彼は、ボールだけを追って、味方のキーパーに体当たり。その結果、オウンゴールを献上してしまったりと、まぁ大活躍です。

そんな彼を、軽くしのぐチキンだと、自負出来てしまう位である。
どうしてそうなるか、分からない?分かりませんか。
でも、僕にはよく分かるんです! 同じ類の生き物ですから。
リラックスして、いつも通りやればいいんだとか考えてるうちに、あれ?!ってなって。 いつも、僕はどうしてるんだっけ?って余計な事考えちゃって、考えた挙句失敗して。
次こそは!とか、これ以上失敗出来ないとか、息巻いて硬くなって、挙句失敗したとクヨクヨし続けて・・・。
始末に終えないんだよ、この手のタイプは。
あぁ、回りからの視線が痛い。

「閑話休題。」
その後、監督はこんな言葉を椿にかける。
そのまま行け。何度でもしくじれ。
その代わり1回のプレーで観客を酔わせろ。敵の度肝を抜け。
お前ん中のジャイアント・キリング(番狂わせ)を起こせ。

僕のジャイアント・キリング。
それは、一体なにか。起こす事が出来るのか。
泣いても笑っても時間は限られている。
何とか、足掻いていく事しか僕は知らない。
だから、足掻いていく。

増木啓介
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11/02/04

The Dead Father

『修了公演にまつわる話〜担当編』

山の手事情社の研修生修了公演は毎年例外なく本当にいい公演だと思う。
でもその幕が開くまでの一年間は苦しい。

研修生は膨大な課題を課せられ、人生を否定されるようなダメだしに打ちのめされながら、いままで経験したことのないような密度の高い期間を過ごす。
担当エチューダーもよくわからないプレッシャーを抱えてやっているので、追い詰められて人格が変わっていく。
稽古場にあふれるのは、いつも楽しいことばかりではない。
ピリピリした雰囲気、もどかしさ、混乱・・・。
担当エチューダーの指導やダメだしも研修生たちに思惑通りに伝わっているだろうか。
むしろ彼らにダイレクト伝わるのは情熱である。
担当エチューダーがそれを何としてでも伝えようとしている変な情熱や、どう伝えようかと悩み格闘している格好悪い姿だけである。

でもそれでいいのではないかと思う。

習うことと学ぶことは違う。
どうしてもある時間経過の中でしか学べないことがある。
自分の能力の限界、理解出来ない他人、自分を容赦なく追い詰めるエチュダーの理不尽さ・・・そんなどうにもうまくいかないものばかりにがんじがらめにされてる気がする時間。

これは一種の通過儀礼みたいなものだろう。
その時間を経験することでその前と後では見えないところで何かが大きく変わっている、そういう機能を果たすもの。
研修生は一年間の研修期間を通過することで習ったこと以上のことを学ぶんだと思う。

あえて青臭い言い方を使えば<青春>っていうのが一番近いのかも知れない。
青春といっても夢とか溌剌さとか甘酸っぱい記憶といったような満足感のあるものでなくて、その青春の時期特有の不足感や無力感、不安、混乱など。
とにかくいろいろなことを味わいたいのに味わいきれない感じ。
こういった気持の躍動は年齢やキャリアによらず普遍的なものだと思う、対峙するものが大きくなっていくだけで。
どんなに必死に伝えようとしても伝えきれない、どんなに激しく悲しんでも癒えることはない、どんなに体を躍動させても喜びがあふれ出てくる・・・。
この届かない感=<青春>という感情を内側にセットしておくことは僕は大事なことだと思っている。

ベテランの俳優の芝居でも中には面白くないものがあったりするのは、一つにはその<青春>が欠けているのではないか。
変な言い方になるが、そもそも芝居とは <芝居では到底表現しきれないものをそれでも芝居で表現しようとするもの> ではないのか。
いつまでもいつまでも届かないものなのだ。
技術の使い方を誤ると<青春>が見えなくなるのだ。

研修生の公演は<青春>そのものを学んだばかりの人たちの芝居だからその「届かなさ」がむき出しになって滲み出ていると僕は思う。
それは経験や技術を積んだ俳優でもときには敵わないものなのだ。

なので一年に一度のこの研修生公演、普段山の手の本公演を見てくれている一般のお客様にも出来るだけ見てもらいたいと思う。

山本芳郎
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