13/03/08

ひかりごけ

「ひかりごけ」稽古場日誌/「上演不可能な読む戯曲」

『ひかりごけ』は私が初めて本格的に演出というものに挑戦した作品です。
2004年今から9年前、ある山の手事情社のワークショップで知り合った3人の50代から60代の女性と、たくさんの戯曲の中から実際に読んでみて選びました。

文庫本になっている有名なこの作品は、作者(私)が北海道のマッカウス洞窟に実際にひかりごけを見に行き、実際に起こったこの事件について調べる様子を描く随筆形式の前半と戯曲形式の後半に別れていて(さらに戯曲部分は1幕、2幕に分かれている)、前半の終わりに?上演不可能な戯曲″?読む戯曲″という形容がなされています。

確かに、どんなにおなかが空いていたとしても、人肉を食らうまでのすさまじい極限状態を舞台上で表現するのはとても難しく、どんなに俳優さんが上手でもそのままやってしまうと何だかうそくさく感じてしまう。

私はこの登場人物(4人の海の男たち)をふくよかなシニアの女性たちで上演することで実際とのギャップを作り、そこに観る側の想像力が働かせやすい仕掛けを作りました。そして彼女たちの若いころのようには動かない身体とそれをなんとか動かそうともがく葛藤状況に、おなかがすいて簡単には動けない葛藤状況とを重ねました。

彼女たちはプロの俳優ではありませんでした。にも関わらずその年輪を重ねた深い声と簡単には動かない重い身体は、偶然にもこの作品にマッチしていたように思います。ある稽古でのこと、段取りをわかってもらうために山の手事情社のほかの俳優に手本を見せてもらった時、その身体の軽さに驚きました。その女優さんは、日ごろから鍛練を欠かさず身体に関する意識の高い人です。でも、素人の彼らの身体の重さは再現できなかったのです。しかしそれは私自身にも言えることで、私もこの作品に一番早く死んで食べられる役で出演していたのですが、プロなのにどうしても彼らの存在感に負けてました。

私はこの作品を、知り合いのイタリアンレストランの大きなテーブルの上で上演しました。若い人たちがテーブルの上で動くのは別に心配しませんが、足元もたよりなくだんだん視界もせまくなっている彼女たちです。当人も見る側もはらはらです。また、お客さんとの距離も異常に近く、舞台経験のあまりない彼女たちはある種の極限状態にあり、それがマッカウス洞窟での極限状態と重なっていたのも、効果的な演出だったように思います。

そんなわけで、ごく少数のお客様にしか見ていただけなかったこの公演ですが、思いのほか評判がよく、主宰の安田からもいくつかの点をのぞけば興味深いという意見をもらい、安田との共同演出という形で翌2005年には東京再演、そして韓国公演に至るまでになりました。初演の作品に関して言えば、解釈も甘くすべてが直感的でまったく自分勝手な解釈をつけたりもしましたが、忘れられない作品となりました。それからの演出作業はこの作品との戦いのような気がします。

これは稽古場日誌という体で書いていますが、私は稽古場には本読みの時に一度行ったきりです。
彼らがこの「上演不可能な読む演劇」をどうやって舞台上で成立させるのか? まだ何も知りません。
いったい若い健康な男性の彼らが成立させられるのか? どんな極限状態が繰り広げられるのか?
山の手事情社の四畳半はどこまで表現の可能性を広げることができるのか? 私も劇場で見てみたいと思っています。

倉品淳子

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山の手事情社公演「ひかりごけ」
詳細は、こちらからどうぞ。
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13/03/07

ひかりごけ

「ひかりごけ」稽古場日誌/「私の好きなところ」

私の好きなところを2つあげます。

1つ目は舞台美術。
場所は、文化学院の講堂。
この場所は不思議と異空間に連れて行ってくれます。
先月は文化学院専門課程・演劇専攻の卒業公演『戦場のピクニック』が行われました。
アラバールの不条理な世界が立ち上がり面白い舞台となりました。
今回の作品は舞台美術を観るだけでもワクワクしますよ。
詳しくは本番で!

2つ目は「2幕」です。
1幕目は極寒の雪の中、2幕は一転して裁判所のシーンです。
検事に追い詰められて船長がなかなか答えず、やっと口を開いたと思ったら
「私は我慢しています。」と答え始めるシーン。
じわじわと「ひかりごけ」の世界に連れられていくポイントになります。
死んだ仲間の肉を食べ、生き延びた船長は裁かれます。
自分のとった行動に苦しみどうしようもない大きな矛盾を抱える事になります。
悲しみ、怒り、後悔、気が触れそうなどうしようもない状態、辛い状態に陥っているのだろうと想像しますが、全てを受けとめじっと生きていく事しか出来ない。
それは船長が一番わかっていると同時に、結局誰にも裁けない、
「いい」「悪い」の話しではないのだろうという事が見え始めてくるシーンです。
ここが見所。
つい、「ひかりごけ」ってどんな物語?
と聞かれると、「食人の話だよ」咄嗟に答えてしまう。
が、この物語が伝えたいものはそう言い切れるような簡単な事ではない気がいたします。

生活の中で感じにくくなっている事、蓋を閉めてしまっている感情が沢山あります。
一見船長の経験した事とはかけ離れた所にいる自分達。
辛い出来事があれば、目をつぶり、どこか無関係だと思い込みたくなる。
しかし、今回、人肉を食べてしまった男に舞台上で出会う事で、改めて自分自身に出会う事ができるのではないかと思っています。
船長の姿が、もしくは他の役の姿が、ご自身と重なるのではないか。
結果、ご自身の豊かさに触れる事に繋がるのではないかと思っています。
是非足をお運びください。


植田 麻里絵

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山の手事情社公演「ひかりごけ」
詳細は、こちらからどうぞ。
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13/03/06

ひかりごけ

「ひかりごけ」稽古場日誌/稽古場の濃度

今回は四人芝居です。
当然のことながら
たいがいの劇団員は裏方にまわります。
私は舞台監督の補佐のような位置にいる石原です。

そこで私は稽古も見にいったりしますが
男四人がこの寒いなか
室温をあげての稽古。

台詞のしぼりだし方
体の動かし方
それらをぎゅぎゅーっと
緊迫感のある空間に仕上げていきます。
冒頭の川村さんの第一声がでるまでの緊張感はわくわくします。
飢えと寒さに苦しむ四人を表現するために
毛穴という毛穴からなにかわけのわからないものが
にゅ?うっとでてくるみたいに発汗していき
こちらまで息苦しくなって
稽古場がもう
なんていうか
くさい。

熱気と匂いをいれかえるため
換気をちょこちょこするのですが、寒い。

みんな風邪をひかないようにと思いはするものの
空気は薄いし埃もでるし
環境に悪いので換気はしなくてはなりません。

そしてあらためて
『ひかりごけ』の登場人物たちは
風邪なんてレベルの話じゃないにしても
そういった日常での体調の悪さのようなものの現象
―たとえば咳とかくしゃみとか―
そういったものはなかったのだろうかと
また換気をするたびに花粉がはいって
重度の花粉症である斉木さんは大丈夫なのだろうかと
余計なことばかり考えていました。


石原石子


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山の手事情社公演「ひかりごけ」
詳細は、こちらからどうぞ。
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