13/07/06

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

スライムと枝

初めてのルーマニアツアー。
スタッフとして参加が決まり、相方は誰かな?
と送られてきたメールをみると、
同じく初めて参加の同期の鯉渕(3年目・23歳・男・強面)。
役者とプロのスタッフ陣は、経験豊富だが、
「おいおい、私らで大丈夫なのか? 」
と、不安が募りながら現地に到着。

「臨機応変に」が合言葉でも、
案の定、テンパりながらのスタッフ作業。
気を回さない、回せないのは、舌打ちものなのです。

さて、本当に幾つもあるスタッフ作業の中で、
完全に私に任された仕事は茶場(ケータリング)と「スライム」作り。
その中で、「スライム」作りは、
行く先々でなにかしらある「困ったさん」な作業でした。
※「スライム」=水、洗濯のり、ホウ砂を混ぜて作る。
温度や割合によって出来上がりの硬さが変わる。

最初のモルドバのイヨネスコ劇場では、
なかなか固まらない。

美智子さんに「どうだった? 」と聞かれ、
思わず「大丈夫そうです」と答えてしまう。
美智子さんが去った後、
足元の「スライム」の入ったバケツを見やり、
もう一度かき混ぜてみる。
シャバシャバだ。

何故だ?
なんか、濁ってるし。

一瞬「スライム」になりかけるが、
しばらく混ぜてると液体に戻るのだ。
硬水め!!

石灰水のような劇場の水。
とりあえず、固める液体の濃度を日本とは大分変えてみる。
やっと固まりだして、ホッとするが、
「柔らかすぎだね」とダメだされる。

次の都市。
シビウのチズナディオラ教会では、
本番中に状態が変わっていた。
昼と夜とで教会内の温度が全然違うので、
固くなっていたのだ。
完全に「スライム」化しとるやないか!
と、念の為用意していたノリ水を慌てて入れて、
やわらかくするが、「硬過ぎだね」とダメ出される。

最後の首都ブカレスト。
オデオン劇場では、なんと平和な事。
万歳、大都市! 万歳、劇場!
水場が多いって素晴らしい!
と、劇場内を「スライム」用のバケツを持って右往左往していると、
ルーマニア人の大きなおじさんに「来い来い」とされたので、
ついて行けば何故か中庭のゴミ置き場に案内される。
「??? 」となって、
おじさんに「水が欲しいんだよ」と「Water! Water! 」と言っても通じない。
Waterくらい知ってろよ!
そして、これはゴミじゃねぇよ! っと思ったが、
好意でしてくれたと思うと、
意思疎通をはかろうとしてしまう。
「水を入れて混ぜたいの」と、
混ぜるジェスチャーをすると、
大きなおじさんは近くにあった木の枝をおもむろにバキバキ折り出して、
一本の枝を差し出してくれた。

うん、違うんだけどね。

「ムルツメスク(ありがとう)」
「ビアチェーレ(どういたしまして)」といって、互いに笑顔で別れた。

なんだったんだ? という時間を過ごし、
未だに「スライム」が出来ていない。
気を取り直して、結局、楽屋でスライムを作る。
大きなおじさんのくれた枝を横目に割り箸で混ぜていると、
おじさんが様子をみに来たので、
慌てて「使ってるよ! 」と枝を持ってアピール。

さてさて、「スライム」の固まりも上場。
前持った「OK」もいただき、いざ本番!
シーンも終わり、後は「スライム」を捌けるだけの時、事件は起こる。
上手の舞台袖に「スライム」が零れたのだ。
慌てて拭くが、舞台寄りの「スライム」は、見切りの為に拭けない。
最終的に、役者に気をつけてもらうという対応になり、
私にとっては最後までスカッとは終われなかった、
「スライム」作業とルーマニア公演。

まだまだ、自分にやれる事はあったはずだと、
2週間弱の目眩ぐるしい日々に、
頭をぐるぐるさせ、思う事でした。

中川佐織

※写真について
上/イヨネスコ劇場前で
下/イヨネスコ劇場の俳優達と

13/07/05

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

『道成寺』モルドヴァ・ルーマニアツアー、
無事戻って参りました。
主宰・安田がシビウ国際演劇祭より
「特別功労賞」を受賞したことなど、大きな収穫となりました。

応援してくださった日本のお客様、関係各所、
そして現地のお客様と劇場スタッフに、
この場を借りて、改めてお礼申し上げます。


遅くなりましたが、現地での出来事、感想など、
こちらに掲載していきたいと思います。

13/06/19

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

「道成寺」キシノウ公演報告/安田雅弘(6月19日UP)

モルドヴァ共和国の首都キシノウ。
6月9日(日)19:10に開演。
劇場は国立ウジェーヌ・イヨネスコ劇場。
イヨネスコは「授業」や「禿の女歌手」など不条理演劇で有名な劇作家で、劇場に彼の名を冠することに生前本人が同意したという。イヨネスコはフランスで活躍したが、ルーマニア出身だ。
その劇場が「日本文化週間」と銘打って、複数の日本劇団やダンスカンパニーを招聘。
日程の関係だけなのだが、山の手事情社がその「週間」の最終日を飾る栄誉を担うことになった。
ロビーでは昼間、連日お茶やお花の講座が開かれ、若い女性がキモノを着て記念写真を撮っていたりする。
子供たちが集まって折り紙をしたり、日本の童謡を歌っている時もある。ちと、くすぐったい。

モルドヴァという国をボクは知らなかった。というか大半の日本人は知らないだろう。
どこそれ?
ルーマニアの北東に位置する内陸国です。かつてはルーマニアの一地方だったので、言語はルーマニア語。またソ連の一部だったこともあるのでロシア語もOK。英語は通じない。
地政学的に歴史は複雑で、ボクら日本人には想像しづらい。
「道成寺」の冒頭、水寄真弓演じるイオアナ(日本で上演した際はキャスリーヌ)が、聞いたか坊主たちに「お名乗り候へ」と問われてルーマニア語で「こんばんはイオアナです。私はモルドヴァ人です。」と答えるシーンがある。
稽古を見た芸術監督のペトル氏のアドバイスを受け、本番では以下のように変更。
「こんばんはイオアナです。私はモルドヴァ人です、すなわちルーマニア人です。」
これが驚嘆の声とともに大ウケする。オォォ、ワッハッハッハ。
モルドヴァの人々は、自分がモルドヴァ人であるという誇りを持ちにくいようだ。
このあたり、われわれにはわかりにくい。

400ほどある客席が満員になり、さらに立ち見客も客席の後ろにいて、熱い視線をおくっている。アイドルやスターではない。遠い国からやってきた、作品名も知らない劇団の公演。それなのに演技を食い入るように見ている。
芝居に飢えているのだ。こんな感覚は日本の客席では感じたことがない。
テレビはある。朝、芝居の宣伝も兼ねて地元テレビ局の情報ナマ番組に出演した。番組の雰囲気は西欧と変わらない。チャラい感じのあんちゃんたちが、テキトーな雰囲気で進めていた(実際はかなりぴりぴりしていましたけどね)。
以前にも書いたことがあるけれども、元ソ連圏の人々は基本的にマスメディアに懐疑的だ。検閲され、操作された情報だという不信感がぬぐいがたくある。じかに他の人々の体温が感じられる劇場で現在の政治や経済や生活感覚を、生きることの苦悩と喜びを、すなわち人生を確認する習慣がある。
この習慣が「演劇欲」というか「舞台欲」みたいなものを育てた。欠乏すると飢える。
レストランの席に座るように客席につく。
うまい料理をほおばるように、舞台を見る。
おいしければ、賞賛を惜しまなし、忘れない。
料理人冥利というか、演劇人冥利につきる。
ツアーの醍醐味である。

客席はスタートから盛り上がる。「聞いたか坊主」のちょっとした言葉のやりとりでウケている。
「道成寺」は日本でもかなり上演した作品だが、この場面でウケたことはなかったように思う。
郡虎彦の「清姫」のテキストを使ったシーンでは水を打ったように静まり返る。
わかってるなぁ。ただ笑いを求めているわけではないんだ。
途中の「今昔物語集」では、シーンの最後、清姫役の倉品淳子がゆっくり去る場面で、芝居が終わったかのような拍手が起こり、次のシーンへのつなぎ曲が聞こえなくなる。
男優たちが靴を使って、女性の振る舞いにため息をつく場面は、簡単なセリフで構成されているのでルーマニア語で演技。この場面は日本でもそこそこ笑いが起こるが、キシノウでは熱狂的な反応。ここは、なんばグランド花月か!
最後の黒い花吹雪が舞う場面では、拍手がうずまいた。
こちらが期待している反応を、客席が上回る。
こういう体験はめったにない。

終演後、客席にいると、何人ものお客さんから握手を求められ、話しかけられる。
「日本の芝居は何本か見たことあるけど、今回初めて日本人のユーモアがわかった気がするわ。」
「すごい動き。どんなトレーニングするの?」
「こんな芝居があるなら、日本に行きたい。」
「女優が脚を出してやるあの場面にはどんな意味があるの?」「あの脚は蛇のたとえなんです。『道成寺』は蛇の話なんで…」
「またキシノウに来てください。」「おそらくまた…」「おそらく? 絶対に来てください。」「…はい。」

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