14/01/11

ドン・ジュアン

『ドン・ジュアンの魅力』

今回の「ドン・ジュアン」という作品は放蕩無頼な伝説の貴族の話なのですが、モリエール以外にもいろんな作家がこの人物を取り上げて作品を書いています。
その中の一つ、ホセ・ソリーリャの「ドン・フワン・テノーリオ」という作品を最近読んだのですが、おもしろいことに話の内容も人物も違います。モリエールの「ドン・ジュアン」は色恋沙汰からはじまり、ドン・ジュアンとその従僕スガナレルとのやりとりを挟みつつ、会うひと会うひとをドン・ジュアンの巧みな話術や偽善で丸め込む、という流れなのに対し、ソリーリャの「ドン・フワン・テノーリオ」はドン・フワンとドン・ルイスのどちらが運が強い悪者かという賭けがベースになっていて、自分の面目や命を守るために殺人や色恋を繰り返す、という内容になっています。
そして結末も違います。モリエールのは最後、非道なふるまいを繰り返すドン・ジュアンに天罰が下り、雷に打たれて死んでしまうのですが、ソリーリャのドン・フワンは自分の過去の乱行を悔やみ、懺悔をすることで、最愛の人の霊に救われ、その霊と共に天に召されます。

ちなみにモリエールの「ドン・ジュアン」はドン・ジュアンが最愛の人を見捨てるところから始まります。(笑)

稽古を始めた当初は、ドン・ジュアンは“女たらし” で“無鉄砲な悪人” というひどいイメージが強かったのですが、このソリーリャの「ドン・フワン・テノーリオ」を読んで、また今回モリエールの「ドン・ジュアン」に取り組む過程で、ドン・ジュアンはかなり筋の通った人で、決して女に対しても周りの人に対しても無鉄砲ではなく、尊敬の念を抱いているのではないかと今は思っています。
そう思うとドン・ジュアンの一見ひどい言動や行動にも、僕たちが共感できる何かが隠れているような気がしてならないのです。そこが、いろんな作家に取り上げられてきたドン・ジュアンという人物の魅力なのだと僕は思います。

魅力的な「ドン・ジュアン」をぜひ観に来て下さい!

谷洋介

14/01/10

ドン・ジュアン

『モリエールとの出会い』

一昨年、ワークショップ講師として、
パリに呼ばれる機会があった。
2週間の滞在中、時間があれば、劇場に足を運んだ。
ダンスでも芝居でも、できるだけ見に行った。
モリエールを劇場でしっかり見たのは、
その時が初めてだったように思う。

「モナリザ」で有名なルーヴル美術館の脇に、
位置する「コメディ・フランセーズ」という劇場。
国立劇場であると同時に、劇団の名前でもある。
別名「モリエールの家」とも呼ばれる。

モリエールは、フランスを代表する劇作家で、
日本でも、知名度は決して低くないと思うけれど、
シェイクスピアなどに比べると、
上演頻度はとても少ない。
不勉強ながら、実際の舞台はほとんど見たことがないし、
告知のチラシなども、目にした記憶があまりない。

しかし、さすが地元というか本場、
コメディ・フランセーズでは日替わりで連日上演されている。
改装中で、隣りの仮劇場での上演だったが、
平日昼間の公演なのに、満員。
芝居のあちこちで大きな笑い声が起こっていた。
みんなモリエールが好きなんだ。
国民的な劇作家なんだな。

歌舞伎みたいなものなのかしら、とも感じた。
近世の衣裳を着て、セットも古めかしい。
おそらく原作通りのセリフを語る俳優。
「型」のようなものが感じられる演技。
この役はこうやるもの、という長年のルールがあるんだろう。

一方、別の劇場では、
現代的なモリエール作品に出会った。
現代の服装に、台本にはないセット。
俳優は時折、iPadを小道具に芝居をしていたりする。
オランダで活躍する演出家が、ドイツの俳優を使って作った芝居だ。
ドイツ語上演だから、パリの観客は、
自国の作品を字幕で見ることになる。
そちらも満員で、お客さんは大喜びだった。

少なくともパリでは、モリエールはそのように楽しまれている。
伝統芸能であり、同時に現代劇でもある。
作家や作品てものは、そのようにして
長い年月を生き延びていくものなのだなぁ、と痛感した。
昔の上演を偲ぶ機会もほしいし、
普遍性を持っているのであれば、現代的な意匠の作品も見たい。

歌舞伎作品を現代的に上演している山の手事情社のやり方は、
ヨーロッパでは決して特殊な取り組みをしていることにはならないんだ、
と少し励みになった。

モリエールをやってみよう、と思うきっかけの一つだったと思う。

安田雅弘

14/01/08

ドン・ジュアン

『脳構造の違い』

山の手事情社は1月の本番に向けて猛稽古中です。
そして今までにない試練との格闘を役者は強いられております。
それは〈振りを覚える〉
今までも山の手事情社の作品には踊りが挿入されてなかったかしら?
その通り、今までにもその試練はありました。
しかし、今回は覚える桁が違う!!
そして難しさが違う。
振りを覚える事には少し自信があった私なのですが、今回その自信がガラガラと崩れ落ちていく音が聞こえました。

汗だくになりながら必死に振りを覚えていると、
「右! 左! もう1回! 後ろ! 」
という声が聞こえてきます。
見るとその劇団員、アンチョコを読んでいる訳でもなく、目をつぶって覚えている訳でもなく、自らも踊りながら指示を出しています。
つまり、もう覚えている。
その方は、御年40歳の男性劇団員K氏。

嘘だ嘘だ!
なんでこんな短時間に覚えられるの?
わたし10歳もあなたより若いのに
もうプライドがズタズタです。(勝手に)
あなたが覚えられるなら私も覚えられるはずともう一段ギアを入れて取り組んでみたものの、やはり覚えられない。

こ、これは、、、

そうこうしているうちにK氏は調子づいて劇団員を誘導している。
その時はっきり理解した。
この人は私と脳の構造が違うのだ、と。

履歴を聞けば、その先輩は理数系出身、しかもバレエを習っていた。
なるほど、道理で。
本人に「私とは出来が違います。」とカミングアウトすると「そんなことないよ。」と一言風のように言い放って通りすぎていった。
ミスチルの桜井さんかと思う程のさわやかさ。

くそ、負けない。
勝負はこれからだ。
周りを見れば私と同じ脳構造の劇団員が四苦八苦している。
そう、四苦八苦するしかないのだろう、なら四苦八苦してやろうではないか。
さわやかなんて糞くらえ。

果たしてこの高難易度の《ルパム》(山の手事情社のダンス)は完成するのか、私はこの《ルパム》について行けるのか。

期限はあと3週間。
結果を劇場で是非ご覧になって下さい。
心より、お待ちしております。

小栗永里子