12/10/06

トロイラスとクレシダ 豆知識

シェイクスピア

シェイクスピアの作品は一般的に、《歴史劇》、《喜劇》、《悲劇》、《問題劇》の4つに分類される。
『トロイラスとクレシダ』は《問題劇》とされている。

 『トロイラスとクレシダ』は作品の中で起こる問題や議論は一向に解決されず、終わりも悲劇的な死やハッピーエンドでもない結末を迎える。
ロマンティックな展開は一切なく、人間臭さで充満している作品である。
それゆえ問題劇とされ、解釈が難しく、長い間上演されてこなかった。

 《問題劇》とされる作品には『トロイラスとクレシダ』の他に『終わりよければすべてよし』、『尺には尺を』がある。
これら3作品は1600年前後に執筆されており、このころはシェイクスピアの精神的な転機の時期だったと思われる。
それまでロマンティックな喜劇を得意としていたシェイクスピアだが、この3作品の直前と直後に、のちに《四大悲劇》(『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』、『マクベス』)と評される作品を連続して執筆している。

12/09/22

トロイラスとクレシダ 豆知識

『トロイラスとクレシダ』あらすじ

ギリシア連合方のスパルタ王メネレーアスの妻ヘレンを、トロイの王子パリスに奪われたことに端を発したトロイ戦争。何の進展もなく7年が経過したところから話は始まります。

この『トロイラスとクレシダ』には二つの大きな筋が描かれています。
ひとつはトロイラスとクレシダの恋愛のお話。
トロイの王子トロイラスは神官カルカスの娘クレシダに思いを募らせ、戦争に赴く気持ちも失せてしまうほど恋焦がれていました。
クレシダの叔父パンダラスの仲介によって、クレシダも彼を気に入り、やがて二人は結ばれることになりますが、初夜を迎えた翌朝クレシダは、捕虜交換の取引のためにギリシア方に引き渡されることになります。
別れ際、お互い心変わりをしないことを誓って離れ離れになる二人でしたが、ギリシア方に渡ったクレシダは人が変わったように淫蕩な女に変わっていました。
あるときギリシアの将軍ダイアミディーズと愛を交わす姿を目撃したトロイラスは怒りに燃え、復讐を誓い戦場に戻っていきます。

もう一つの筋はギリシアとトロイの両陣営でのお話。
ギリシア方では戦争の膠着状態の打開についての議論が長々と続いています。
アキリーズの慢心のせいで軍の秩序が乱れていることが問題にされているとき、トロイ方のヘクターから一騎打ちの挑戦状が送られてきます。
先方はアキリーズを相手に望んでいることは明らかでしたが、ユリシーズによってあえて格下のエージャックスを差し向けるという提案がなされます。
一方トロイ方の陣営でも議論が続いています。
ヘレンをギリシア方に返還して戦争を終わらせる調停案をめぐって、賛成反対の意見が交わされています。
そんな折、ギリシア陣営では、ギリシア方に寝返っているトロイの神官カルカスが、娘であるクレシダとトロイ軍の捕虜を交換するという提案を総指揮官アガメムノンに上奏します。

ヘクターとの一騎打ちの為にギリシア勢側に到着するトロイの将軍たち。
ヘクターとエージャックス二人の決闘が始まりますが、お互いが血縁同士であることから中止され、引き分けに。ギリシアとトロイは一時休戦となり宴が催されます。
その夜、クレシダとの再会を求めてテントを訪れたトロイラスはクレシダの浮気を目の当たりにします。
そして、再開された戦争で、ヘクターはアキリーズの親友パトロクラスを打ち倒します。
怒りに燃えたアキリーズは戦場に復帰し、たちまちヘクターを惨殺します。
そのヘクターの死に茫然となりながらも、トロイラスは復讐の鬼となり、戦争は決着がつかないまま続いていきます。

12/09/12

トロイラスとクレシダ 豆知識

ギリシア人の戦闘

映画で観るようなキチンと縦横に編隊を組んで戦うファランクス(密集方陣)という陣形はもう少し後に生まれた戦い方で、「詞戦い(ことばたたかい)」という相手を挑発して一騎打ちを挑む戦い方が主流であった。
そして、あくまでも敵味方入り乱れた混戦状態での戦闘であった。

戦闘の手順はまず長距離では弓を射かける。
中距離まで近づくと槍を投げたり、突いたりした。
槍には「ドリュ」と呼ばれる約2mぐらいのものと、「エグコス」と呼ばれる5mにも達する長槍があった。
そして、その槍が使えなくなると木の葉型の「クシポス」という剣で応戦した。
剣がなければ掴みあい、殴りあいである。

「デンドラの鎧」という頑丈な鎧もあったが、全身青銅製で大変重く動きづらいので、戦闘に不向きであった。
当時ギリシアには製鉄技術がなく、もっぱら青銅を使用していた。
青銅は高価なため一部の有力者しか持っていなかったとされている。
当時、武器や防具は自費だったため下級兵になればなるほど裸に近い装備だったようである。
そのため敵兵を殺したときは隙さえあれば武器や防具を奪って自分の物にしていた。

当時は英雄の死を悼むために休戦したり、冬の寒い時期は戦わなかったり、忌引きや冬休みのような習慣もあったようである。
戦争は主に暑い季節がメインだったのだろうと推測できる。
現代の発掘調査でギリシアは土葬が主流だったようであるが、遠隔地で戦うギリシア兵たちが敵国の土地で土葬できたかどうか。
海に流すか火葬にしたかも知れない。

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