12/09/09
トロイ遺跡
『トロイラスとクレシダ』の舞台であるトロイ戦争は中世では伝説と化していた。
近代になって考古学者たちが発掘調査にのりだしたが、トロイの城塞は発見されず、詩人ホメロスのフィクションであり、物語のなかにだけ存在するのだと思われていた。
ところが1873年、ドイツの実業家ハインリッヒ・シュリーマンがトルコのエーゲ海に面した土地にある「ヒサルリックの丘」でトロイ城の跡を発見した。
このことによりいままでほぼ空想の産物とされていたトロイが実在することが証明されたのである。
この発掘はさらにすすめられ紀元前3000年から現在までの間に9層からなる町や城の痕跡をみいだした。
現在はなんの変哲もない丘となってはいるが5000年の間に9つの城もしくは町が形成され、天災や人災により破壊されたのである。
シュリーマンはこのうちの2層目の遺跡をトロイ戦争が勃発した時のトロイ城と推測した。(後にもっと後代のものと推定される)
また財宝も多く発掘し、これをトロイ戦争時のトロイの王の名をとって「プリアモスの財宝」と呼んだ。
しかしトロイ戦争が実際におこなわれた史料などは発見されず、トロイ城があったという事実が判明したにすぎない。
それでもホメロスの作り話だとされていたトロイが実在したこと証明したのは偉大な発見だった。
なお、「ヒサルリックの丘」は現在では海から約6.5km離れた場所にあるが、トロイ戦争があったとされる紀元前1200年頃は丘の目の前まで海はあった。
つけくわえて言うとシュリーマンは考古学者としては素人だったため、発掘現場を荒らしてしまったり、トルコとの約束を破り発掘した財宝をすべて自分の国に秘かに持ち帰ったり、虚言癖があったりと困った側面ももちあわせている。
しかしそれでもトロイ城を発見した功績は大きいといえよう。