14/06/25

にごりえ豆知識

「にごりえ」豆知識3/言文一致運動

樋口一葉の活躍した明治初期、平安時代からほとんど変わらず使われてきた文語(書き言葉)を話し言葉に近づけようとする運動が起された。

明治になって読み書きする階層が広がるにつれて、両者の違いに不便が痛感され、意思疎通にも学問習得にも便利なものにしようとしたためだった。これには学者だけでなく二葉亭四迷、尾崎紅葉、山田美妙らの小説家がそれぞれ、「だ調」、「である調」、「です調」の新文体を実作を用いて試みた。しかし当時はまだ文語体で書かれた作品も多かった。

一葉の作品も文語体で書かれており、口語体に慣れ親しんでいる現代人には読み辛いものの、詩のようなリズムのよさ、優雅さがあり、雅文(がぶん)と呼ばれている。

14/06/13

にごりえ豆知識

「にごりえ」豆知識2/樋口一葉と『にごりえ』

樋口一葉(1872- 1896)は、東京生まれ。本名は夏子、戸籍名は奈津。

一葉は24歳の若さでこの世を去りましたが、小説家として活動したのは20歳?24歳の四年間。彼女の残した作品は、小説、単行本、随筆、日記、和歌と様々ある。

中でも、彼女を『閨秀作家』(学問、芸術に秀れた女性。才能豊かな婦人)として世に知らしめた作品が、小説『にごりえ』である。

この作品は、彼女の自伝小説とも言われており、その『にごりえ』を発表した翌年に彼女は亡くなる。

ちょうど脂の乗って来た矢先の死である。不思議な事に、樋口一葉の家系は、父、長兄と「家督」を継いだ人間は転機を迎えた翌年に病でこの世を去っている。『にごりえ』の作品中に、主人公のお力が「私等が家のやうに生まれついたは何にもなる事は出来ないので御座んせう」と言っているのだが、樋口一葉にとっても身につまされる言葉であったと思われる。さて、そんな彼女の初期の作品は、主に「美少女、お嬢様の恋」というヒロイン物だったが、後期になると「身分の低い女性の悲恋や既婚者の不道徳な恋愛、悲恋」に視点を向けて行った事も面白い。ちなみに、一葉は一生涯独身だった。

樋口一葉の研究者の間では「処女説v.s.非処女説」で物議を醸すのはお約束なのだが、劇団山の手事情社でもその事については「諸説みだれて取り止めたる事なけれど」(『にごりえ』より)、樋口一葉への熱い思いがそうさせているのでしょう。

14/06/05

にごりえ豆知識

「にごりえ」豆知識/あらすじ

7月に若手公演「にごりえ」を上演いたします。山の手事情社初・女流作家に挑戦! 本公演とは違うフレッシュな顔ぶれが出演。公演をご覧いただく前に、知っておくとより楽しめる、豆知識をお届けします。

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新開地の銘酒屋(※1)「菊の井」の一枚看板お力には、かつて蒲団屋の源七という深い馴染みの客がいた。
源七はお力に入れあげた挙句破産してしまい、いまは妻子と侘しい長屋暮らしをしているが、お力のことが忘れられず時々会いにくる。そんな源七をお力は冷たくあしらう。

ある雨の日、お力は結城朝之助という客を店に呼び入れて、親しい関係になる。話を聞いてくれる朝之助にお力は源七のことも打ち明ける。

一方、源七は仕事も手につかなくなり生活は妻お初の内職に頼りきりになっている。お初の愚痴はとまらない。「白粉つけて美い衣類きて迷ふて来る人を誰れかれなしに丸めるがあの人達が商売、だまされたは此方の罪、それよりは気を取直して少しの元手も拵へるように心がけて下され」

ある日、お力は宴会の席で「我恋は細谷川の丸木橋わたるにや怕し渡らねば」と歌いかけて急に店を飛び出していく。「これが一生か、一生がこれか、ああ嫌だ嫌だ」放心して町を彷徨うお力。そこを通った朝之助が声をかけて我にかえり、その晩お力は朝之助を帰さなかった。

そして源七とお初は、息子がお力から高級な菓子を貰ってきたことがきっかけとなって、激しい口論をし、遂にお初と息子は家を出て行く。

それから数日後、お寺の山で男女の遺体が発見される。後袈裟で刺されたお力と切腹で自害した源七であったという。


※1 … 銘酒屋とは、明治時代、銘酒を飲ませることを看板にし、裏面で私娼を抱えて営業したお店のこと。