14/02/23

ヘッダ・ガブラー

『ある日の稽古風景』

研修生の修了公演『つぶやきとざんげ』 の稽古と並行し3月の公演『ヘッダ・ガブラー』 も稽古がはじまっています。様子をちょこっと覗いてきました。

去年の10月、転居してきた今の稽古場。
大きいスタジオが2つあるのですが、研修生の修了公演の為使用されており、ベテラン俳優達は余儀なく3階のロッカールームに追いやられての稽古。
(普段はミーティング、食事、着替えなどをする場所です)
様子を撮るべくカメラのシャッターをきるのだが…。
背景に必ず物が写ってしまう。
ガス台、冷蔵庫、倉庫のクリアケース、劇団員のかけたコート類…。
ううっ! 部屋の真ん中では何やら、ノルウェーの近代作家の書いた物語が展開しているのに。
何!? このギャップ。
テレビドラマ的な動きだったらまだしも、《四畳半》。
オブジェのような動きの連続。
会話している背景に、クリアケースに書かれた文字だったり、散乱した劇団員のロッカーの中の私物だったり、ガス台だったりがチラチラ…
主役の笑美さんが稽古から本番迄観れるチケットをつくったらどうだろうと提案されていた事があったのを思い出したが、まさに観る価値あり。

創作過程だからこそ味わえる面白み。
こういった些細な積み重ねが芝居をつくる。

本番にはこんな背景はみえないけれど。
俳優達が積み重ねる役の背景と同様、この“へんてこなある日の稽古風景” も1つの要素として組み込まれていくのである。

本番が楽しみである。

植田麻里絵

14/02/23

つぶやきとざんげ

演技の世界、言葉と身体の世界

山の手事情社の唯一の外国人ポールです。



毎日稽古で言葉の壁と《ルパム》の壁を感じます。



自分の感じた事を外国の言葉で伝えることはどうしてこんなに難しい事ですか。



どうしてこんなにめちゃくちゃ楽しいのですか。私なりに答えをみつけました。



自分が演じる役は本当の自分と登場人物の合体だと思います。どこか、演じている瞬間でも冷静な自分が存在しています。
その冷静な自分は様々なことを認識できています(自分のミス、テンション、お客様の反応などなど)。
私の場合は日本語のアクセントやイントネーションなども含まれています。



その日本語の問題は本当に大きい混乱です。
外国語を必死に勉強した方がわかるとおもいますが、人間の思考は大体言葉と絵で行われているので、自分の言葉を変える事は、自分自身を完全に否定することです。
特にアクセントやイントネーションなど完璧にしたいところ、呼吸法や身体の動きまで全て変える必要があるのです。
役と違って常にスイッチ入っていないと駄目なんです。



それが面白いです。普通に母国語で演じる役者と違って、新しい自分を探してとそれを役で生かすのだけよりも、私のような人は外国語に通して新しい存在になる必要があるのではないかとおもっています。



ベネーダ・ポール・マリア



The World of Acting, The World of Words and Body.







Hello, I am Yamanote Jijosha only foreigner Paul.



Everyday I am crushing against the wall of "Words" and "Rupamu".



Why is it so difficult to express what you feel in a foreign language?



Why is it also so refreshing and fun? I found an answer for myself.



I believe that through acting my true self and my role start melting together.



But somewhere while acting there exists a logical me, who keeps myself in check, remembering my mistakes and points I want to improve. In my case, Japanese speaking correct Japanese is also something my logical self has to check.







Those Japanese mistakes are big challenge to me. People who have studied a foreign language very hard may understand that thinking is basically done in pictures and words. Changing your own words is like outright rejecting yourself. Especially when you want to also sound correct, you have to change your breathing and body movements (tongue, lips). Different then from acting, you have to be careful 24 hours a day.







And that is the amazing thing. Actors who use their mother tongue have the chance to search for a new part of themselves and express it through their role. In cases like mine where you act in a foreign language, I believe I have to become a new existence to accomplish my goals.

Beneder Paul Maria

14/02/22

つぶやきとざんげ

とある日のこと

「祥子、メインの≪ルパム≫の構成なんだけど…今のままだとやっぱダメだと思う。もう1回何か考えてきて。」

と優しい笑顔で演出の淳子さんに言われた。


必死に考えた。


あいつはこの振りが上手いから、前の方でやってもらおう。

こいつはカウントが取れないから、なるべく目立たない所でやらせよう。

このままじゃ動きがないから、移動しながらできる振りを入れよう。

iPodで曲を聞きながら、頭の中で人を動かし、構築しては壊してを繰り返す。


悩む。


悩む。


悩む。


iPodの音楽がいきなり、うるさい電子音に変わる。

…夢か。


寝たはずなのに疲れの取れない、余計に疲れた身体で、稽古場に向かう。

やっぱりダメ出し。



正直、自分の出来なさ具合にはヘコむ。

でも出来なければ、自分のシーンがカットされる。

出番が欲しい。

じゃあ、やるしかない。

今の私を動かしているのは、そんなエネルギーだけ。

どうにかしなければと、必死で、もがいている。


あれ?

もしかすると、今回の芝居の登場人物たちって、今の私に近いのかもしれない。

等身大の私にしか出せないもの、あるのかも。


本番まで5日。

もっと自分と向き合ってみよう。


菊地祥子

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