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コラム
安田雅弘演劇の正しい作り方
ひょんなことから公演終了後の休暇中にニューヨークに行ってきた。
本来なら今回は今まで話してきた「劇団の作り方」についてのまとめを書くはずだったが、たまたまニューヨークで幾つかの舞台に出会い、それらについて考えるのもあながち無益ではなかろうと、この機会に触れておくことにした次第である。
はじめに断っておくと、ぼくはニューヨークの演劇に詳しいわけもなく、多くの舞台に触れたわけでもないので、ブロードウェイの案内などできないし、ましてやアメリカ演劇の内容について述べるつもりもない。
あくまで日本の東京の一演劇人のとりとめない雑感と考えてほしい。
演劇人として見た場合、やはりブロードウェイ(オフ、オフオフも含めて)のにぎわいというのはうらやましい。どこが違うのか。
まず思ったのが、テレビがつまらないのではないかということ。チャンネル数は果てしなく多いし、内容もニュース、議会・裁判の生中継、討論番組、クイズ、ソープオペラ・・・と多岐に渡っているものの、こと「娯楽」という観点からすると非常に薄っぺらい、というより日本のテレビは実に「娯楽」色が強い。テレビに「娯楽」色がなければ映画か芝居でも見に行くか、という気になると思う(ちなみに映画は日本の半額)。逆な言い方をすればテレビ、映画、演劇がきっちりと住み分けている。それぞれの専門家がほとんど重複することなく、それぞれの分野で仕事をしているという感じを受ける。
それはつまり観客の意識を反映している。入場料は日本と大差ないが、公共料金や消耗品はかなり安いから、芝居見物は比率的には高くつく。それでもそういうお金を払って見にいくのであれば観客の目的意識はかなり明確なのだと想像できる。
高価なせいか、観客の年齢層も日本に比べ相当高い。ほんの一部の公演をのぞけば高校生以下の観客は見かけず、「演劇は大人の見世物」という印象が強かった。
また大きく感じたのは、集客システムがしっかりできているということ。原則的にロングランであるということは観客にとって(もちろん製作者サイドにとっても)非常に安心感がある。そのロングランを勝ち取るために何年も地方回りをしたり、莫大な資金を集めなくてはならないのだろうが、劇場にいけば必ずやっている。そうした公演が数多く、またゴチャっと一か所に集まっている。しかも全ての公演が夜8時(マチネは昼3時)に始まる。こうした安定感が演劇を市民生活に根づかせる大きな要因になっていることは間違いないと思う。
有名なTKTS(当日券を半額でさばく機関)も一役買っている。半額でもチケットが売れれば製作者にはリスクの回避になり、ひやかしの観客にとっては試しに見てやろうという気になる。ほとんどの劇場がTKTSの窓口から歩いて行ける距離にあり、また劇場の周囲には食事をする場所や土産屋が軒を連ねている。こうしたことがブロードウェイの観光名所化につながり、相乗効果で巨大なビジネスになっていると言えるように思う。
さらに現場の人間からみてうらやましいのは劇場の法的な規制がおそらくかなり緩やかな点だ。欧米の都市にある劇場は、日本のように劇場劇場してない。ごく普通のビルの中にあったりする。『パーフェクト・クライム』という芝居の劇場などは人が二人も通れば一杯の階段を登った三階にあっておそらく日本なら消防法でダメだと思う。石造りであることと、地震がないこともあるのだろうが、日本の劇場認可の事情は、劇場の多様性を妨げているように思えるがどうか。
しかし東京の状況が全く劣っているかというと、そうは思えない。
ニューヨークには確かにストレートプレイ、ミュージカル様々な舞台がある。またそれらは多様な民族や背景を持った人達に支持されてロングランを続けてはいる。が、どこかテイストが似通っているのだ。演劇史についてはいずれ触れたいが、簡単に言えば欧米の演劇史は新しいものが古いものを一切駆逐する。シェイクスピアの台本は残っていてもその上演形態は残っていない。つまりは演劇といえば現代演劇しかないのだ。
また、ロングランが前提であるということは大衆の支持が必須条件なわけで、マイナーな感性や表現は非常に出てきにくい。
その点東京では能狂言、歌舞伎から新劇、商業演劇、小劇場・・・と伝統芸能から前衛的な舞台芸術までそれはそれは幅広い。それらが並列的かつ日常的に相当数上演されている。実は東京の状況は他の先進都市に比べ圧倒的に広く深いのだ。また世界史的に眺めてもかなり特殊な活況を呈していると言えるのではないだろうか。
一方、その演劇都市東京に住む人はその特殊性をおそらくはほとんど意識していない。問題があるとすればそこだろう。まあその問題にはこれからじっくり取り組まなければならないとぼくは考えている。
帰国前夜、ブルーマングループの『チューブス』というパフォーマンスを見た。それは頭部を真っ青に塗りたくった三人組が繰り広げるギャグと演奏で、演劇と呼べる内容ではなかったが、小劇場出身のぼくにはとてもシンパシーの感じられる舞台であった。
強く衝撃を受けたのはそんな内容であったにもかかわらず、3年間も毎晩その劇場で公演が行われているうちに出し物がその空間に「息づいている」感覚であった。それは学生の頃テントやアトリエで先輩たちの芝居を見たときに感じ、また自分で芝居を作り始めたときに目指し、そしていつしか忘れてしまっていた大切な感覚だったのである。
今の東京の公演はほとんど貸小屋だ。自前の劇場でも自分たちの公演だけで維持していくところなどない。芝居が空間に「息づく」のにどれくらいの時間が必要かわからない。が、役者やスタッフの技量と関係なく、劇場が生き物のように芝居を包み込む独特の感じが東京の演劇には決定的に欠けている。
もしニューヨークの観客が演劇に求めている目的の一つがその感覚なのであれば、それは全く正しいし、実に豊かなことだと思う。どうすれば東京の観客にあの感覚を体験して貰えるだろうかと、ぼくは考え、そして途方にくれたのである。
「演劇ぶっく」誌 1995年2月号 掲載