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コラム

安田雅弘演出ノート

ほんのりレモン風味/2022.2

ほんのり自己嫌悪

 ニュージェネレーション(準劇団員)として入団し、どんな稽古や訓練をするんだろう。何となくご興味をお持ちの方もいるかもしれない。でもおそらく内容については全然ごぞんじない。なっかなか演劇の練習方法というやつは世間に知れ渡っておりません。音楽や美術とちがって義務教育の科目じゃありませんからね。でも演劇って実は「日本語の話し方」なんです。義務教育に含まれてないのはどうかなと思います。で、おそらくごぞんじの稽古は……

 ――発声練習。
 これは、します。全員で揃って大声出すんだろ? 的な印象があるかもしれません。大間違いではありませんが、かなり違います。声は声帯を震わせるだけでなく、骨や肉を共鳴させて出しています。客席に届く声を出すには、その共鳴を深く大きくする練習が必要です。また日本語は母音が5つしかありません。この5つを明確に出すためにどんな口の形をして、身体のどこを共鳴させるか意識する。そういうトレーニングが発声練習です。

 ――台本を読む。
 これは、しません。あ、びっくりですか。「演劇=台本」という図式は多くの方が、信じられないほど多くの方が演劇に抱いているイメージです。間違いではないんです。たしかに「演劇=台本」は主流です。ただ専門家から見ると、台本って難しい。本当に難しいんです。少なくとも演劇の入口にはならない。だって自分の言葉じゃないんですよ。それを人前で話す。いやいやそんなの当たり前だろ、と思うかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。
 たとえばハムレットだったら、シェイクスピアという16-7世紀のイギリス人が書いた、デンマークの王子のセリフです。それを令和の日本人が喋って、お客さまになるほどと思っていただく。いろんなやり方があるでしょうし、きまった正解はありません。でもですよ、その前に令和の日本人であるその俳優がふだん自分はどのように話しているのか。その把握もなしにデンマーク王子の話し方を獲得する、ということはありえないと思いませんか。ふだん料理したことのない人がフランス料理に挑戦するようなもので、まぐれでもうまくいくはずがない。ふだんの食事の材料なり作り方をある程度わかっていれば、フランス料理にチャレンジすることもできるかもしれません。けれども基礎というか、挑戦の前提となる知識と経験がないといきなりは無理です。

 つまり何が言いたいかというと、台本の前に、自己把握なんです。
 「話し方」ということでいえば、というか、「話し方」だけでも自己把握すべきことは山ほどあります。たとえば深く息を吸って、一息で何文字話せますか? ふだん何文字で息継ぎしていますか? 1分間で何文字話していますか? ほとんどの方は考えたこともないと思います。しかし人前で話をするプロフェッショナルであれば、これ、把握しているんですね。単にデータとしてではなく、身体でつかんでいる。
 感情も操作しなければなりません。そのセリフ喜んで読んでみて。俳優ならばすぐに対応することが求められます。じゃ、悲しんで、怒鳴って、酔っぱらって……。結構な練習が必要なことはおわかりいただけると思います。ニュージェネレーション、それだけで1年です。はっきりいうと、1年じゃとうてい足りません。だから台本はなし。

 さてそれで自己把握の作業が進んでいくと、徐々に自分に飽きてきます。なんかオレいつも同じ抑揚で話してるな。アタシのしゃべりのテンポ一緒じゃない? といった具合に。稽古場でバンバン指摘されますし、そのうちに自分でも嫌になってくる。まぁここからがスタートです、俳優という存在の。自分に飽きてない人は見ていて退屈です。もっと言うと、一流の俳優は自分に飽き、嫌い、憎んでいます。もちろん自分の全てではないですけど。
 少し視点を変えます。
 俳優っていったい何の資格があって、人前に立てるんでしょうか。そもそも人前で話したり立ったりする資格があるのは、何かとんでもない経験をしてきたとか、とてつもない知識があるとか、誰もがうなる芸があるとか、そういう人ですよね。顔やスタイルに特徴があって、声が大きくて感情が豊かで、セリフ回しがうまかったり、ダンスや歌が上手だというなら、芸があると言えるでしょう。俳優を自称する者は大体そのどれでもないのに、勝手に人前に立つ資格があると勘違いしてます。ないんです。何にもない。思い違いするな。
 さあそんな何でもない自称俳優クン女優サンは何を武器にたたかうのでしょうか。それがさきほどの自己への倦厭[けんえん]であり嫌悪であり憎悪なのです。それがあって初めて彼らは自分の経験不足を怖れ、知識教養の薄さを恨み、何が観客を納得させる芸なのかを真剣に考え始める。
 んでニュージェネレーション諸君。私の見る限りキミらはまだまだ自分を無自覚に愛しちゃってます。すごく稽古してるけど自分に呆れてないからなかなか変わらない。よくがんばった。まぁここからですよ。本番に向けてほんのり凄みが出て来たのは、おそらくほんのり自分に飽き始めたからではないかと私は感じている。

監修 安田雅弘(劇団 山の手事情社・主宰 演出家)

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