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リリック野外劇二年目にあたって

安田雅弘(2000:新潟日報)

昨年の『夏の夜の夢』にひきつづき、今年も長岡リリックホールで野外劇が開催されることになった。50名をこえる一般の参加者とともに、歌あり、ダンスあり、そしてもちろんお芝居ありのシェイクスピア喜劇、『じゃじゃ馬ならし』にとりくむ。シェイクスピア作品のなかでは比較的初期のもので、後期の四大悲劇のような、円熟味にはやや欠けるものの、若くて勢いがあり、ゆたかな会話が大きな魅力である。

この野外劇には、演劇的な教養にできるだけ多くの方々にふれてもらいたい、というねらいがある。演劇的な教養といっても、けっしてむずかしいものではない。シェイクスピアというすばらしい劇作家の魅力にふれ、大きな声を出してせりふをしゃべり、からだを思いきり動かしてダンスをおどることと考えてもらっていい。たのしい体験を通じて演劇の世界を身近に感じてもらいたいのである。

日本人は世界的にも、歴史的にも、演劇に深い理解のある民族である。しかし残念ながら、小中学校ではその教養にふれる機会がほとんどない。もっぱら「鑑賞」というかたちでしか演劇に参加していないのが実状である。しかし、演劇は、音楽や美術やスポーツのように、体験によってその才能が発見されたり、いわゆる名人の熟練した技術を味わうことができるようになる芸術表現なのである。野外劇には特段の参加資格はない。どなたでもやる気さえあれば、出演できる。演劇がどのような訓練を必要とし、どういった過程で作られて行くかを実際に体験すれば、自分たちで演劇をつくろうと思ったときに役にたつだろうし、何より今後演劇を見るときの視点が変わったことに驚くにちがいない。

野外劇のもう一つのねらいは、地域のコミュニティの核としての役割である。ちかごろ少年の凶悪犯罪が世間をにぎわせている。私の住む東京でも、人目もはばからずに道路や電車のなかでタバコをすって高校生によくでくわす。青少年の教育には、家庭、学校という場所にくわえて、社会という場が欠かせない。野外劇には、はばひろい年齢層から、さまざまな職業の方々があつまる。この集団のなかには、たとえばタバコをすっている高校生に(実際にはもちろんいないが)、直接注意できるような信頼関係がある。私たちの人間関係はどうしても家庭と職場にかぎられがちだが、野外劇に参加していると普段ふれることのない職業の人々と知りあうこともできる。社会的にとても大きな効用だと思う。

ゆくゆくは、長岡市のなかにある企業や教育機関の皆さんにも、いま以上に野外劇に参加してほしいと思っている。パンフレットに企業の広告を掲載し、資金援助してもらうという従来のメセナ(芸術支援)だけでなく、社員の方々の野外劇参加を奨励し、たとえば有給あつかいにしてもらったり、各学校から先生がたを野外劇に派遣し、研修の一つとしてあつかってもらうということができないものだろうか。企業の顔や演劇の教育的側面が、いままで以上に見えてくると思う。また、大学生や高校生の参加行為を学校の「単位」として認めてもらうような制度ができないものだろうかとも考えている。核家族化した現代の社会に必要な、さまざまな教養や人間のネットワークを野外劇は秘めているのではないか、と当事者である私や運営スタッフは多少の自負もこめて、その行く末に期待をふくらませている。

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