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コラム

安田雅弘演出ノート

燦燦と淡淡と/2016.3

寝袋の入口でおののくキミたちへ/安田雅弘(監修)

 「自分の言葉で自己を語る」
 これが演劇の本来の入口だ。てんでできちゃいないのに、日本の演劇はそこをすっとばして、いきなり台本から入ろうとしてきた。ずっと。で、このていたらく。
 台本を否定するつもりなど、さらさらない。劇団で去年上演した『タイタス・アンドロニカス』と『女殺油地獄』はシェイクスピアと近松門左衛門の台本だった。戯曲大好き! な私だが、台本を入口に演劇の魅力に近づくのは、ひどく難しいと思うようになった。
 戯曲ってのは、シェイクスピアの言葉をロミオが口にする。つまり「他人が書いた別人のセリフ」だ。「自分」からすごく遠い。他者を云々する前にまず私から。自身がふだんどのように話し、書くのか。欠点も含めて自分のチャームポイントはどこにあるのか。しっかり自覚し、周囲に伝える能力が必要で、それが俳優の基盤である。基盤があって、ようやく自分とは違った「役」に取り組むことができる。
 研修プログラムは、この考えをもとにカリキュラムが組まれている。つまり、徹底した自己理解の追究だ。
 思い出してほしい。《漫才》は身体に眠っている自分の感情を目覚めさせるトレーニングだった。《フリーエチュード》はゲーム形式の練習だが、キミと他者とのかかわり方をシミュレーションしていたのだ。寸劇《ショートストーリーズ》を次々と作ったのは、自己を取り囲む人間関係の点検であり、ひいては社会の姿をとらえる訓練だった。身近な人の《ものまね》を通じて、他人の内部がキミとどう違うのかを、声と身体の両面から検証してもらった。繰り返し作った《ルパム》だってただのダンスじゃない。自分の中に埋まっている動作を掘り起こす作業だったのだ。その成果が今日の本番。《 》の稽古すべてが、一つひとつのシーンにつながっている。
 めまぐるしかった一年。台本に手をつける前から、やることが山積みだと身に染みたと思う。よく頑張った。でもまだこれから。プロとして生きるならば、一層大変な日々が待ち受けている。しかしだからといって、ひるむことはない。基盤は整いつつある。自信を持て。燦燦と活躍するために、淡淡と稽古したまえ。
 演劇という名の寝袋へ、ようこそ。

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