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コラム
カルチャーポケット安田雅弘
教会で祈りを捧げる司祭が、服を脱ぎ全裸に。そそりたつ2本のパイプを通り抜けると別世界が広がる。天井から吊られている水槽が、いきなり沸騰したように沸き立つ。足だけのロボット。それが床でのたうちまわる。羊水の中にいる赤ん坊の模型、おへそからつながったホースから水がぴちゃぴちゃと落ちる。大きなプラスチックの箱に入ったヨガ男。足を頭の後ろに回して背中のところで組む。肩甲骨を皮膚が裂けるのではないかというくらい外に広げる。同じ人間とは思えない。空中に浮かぶ壊れたテープレコーダーからテープを引っ張る黒人の男。引っ張るたびに耳障りな音が響く。乳がんのせいか、片方の胸を失った年配の女性が全裸でゆっくり歩いてくる。すすり泣きが劇場中に響き渡る。こうしたシーンの連続が心のある部位をピンポイントで確実に突いてくる。恐怖と不快感。見たくないけど見てしまう。題名は『創世記』、イタリアの若手演出家ロメオ・カストリッチの作品である。一見現代美術のようにも思えるが、立派な現代演劇と言っていい。彼、ロメオは今世界の演劇界(主に欧米諸国)注目の売れっ子である。わかる気がする。ギリギリのところですんごく面白い。もう一つ。ジンガロというフランスのカンパニー、メンバーは馬。まぁ、馬と馬を扱う人と言った方が正確か。テントの中に設営された直径20メートルほどの円形の馬場が舞台。その周囲に客席。空間としてはサーカスに近い。が、サーカスではない。8頭の馬が横一列に並んで馬場をゆっくりと回る。そのうちの1頭が飛び出し猛スピードで駆け、再び列に戻る。これが繰り返される。馬のスピードと照明の明滅がシンクロする。横一列のところは暗く、駆け抜ける馬を追うように明るく。白馬3頭と白いドレスの女性3人による幻想的なシーン。ストラビンスキーの曲、ブーレーズの言葉からインスパイアされたイメージだという。まぎれもなく現代演劇である。
6月下旬、機会あってモスクワのシアター・オリンピックスに行ってきた。世界で最高水準の現代演劇の祭典である。もちろん上記2つの公演はかなり特殊なもので、全ての公演がこのようなものであったわけではない。しかし、世界の演劇シーンがどのようなレベルで推移しているかは想像してもらえると思う。
世界の現代演劇では創作の主体を演出家ととらえる傾向が強い、というよりそれが常識。日本の現代劇のように多くの劇作家が演出を兼ねているという現象は珍しい。もちろん好ましいことではない。劇作は言葉に命を懸けるもので、空間の美的秩序を構築する演出という作業とはかけ離れたものだ。という基本的な認識はないでしょ? 観客にも当事者にも。同時に古典軽視。歴史的に不幸な経緯もあるとはいえ、演劇に情熱を傾ける若者が演劇の古典を無視して、というよりまともに学ぶ機会を得ないまま、新作と言う名のどうでもいい作品を作っている気がする(なんて言うとまたケンカかな?)。舞台芸術に関しては欧米の方がアグレッシブな部分をまぎれもなく持っている。そうした情報をとらえた上で活動した方が観客にとっての演劇イメージ刷新にもつながると思う。
※ カルチャーポケット 2001年9-10月号 掲載
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【カルチャーポケット】
1999年8月から約5年半の間、大阪市文化振興事業実行委員会より発行されたフリーペーパー。通称c/p。