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コラム
カルチャーポケット安田雅弘
書こうと思っていたことはいくつかあった。モスクワのあと訪れた、壁崩壊から10年たったベルリンの演劇状況。8月に富山県利賀村で行われた『演出家コンクール』の顛末。香川県下の高校生100人と芝居を作った夏休み合宿…。さてどれを、と迷っていたとき、あのできごとは起きた。
「両方が成功すれば、これは大変なインパクトだよ。一ヵ所なら単なるテロでも、二ヵ所同時っていうのは、戦争じゃない」
両方というのは、世界貿易センタービルとペンタゴンのことではない。日本にある空港と大使館のことだ。何の話かといえば、これはいまボクらが稽古をすすめている『Fairy Tale』という芝居のせりふである。盟友平田オリザの書き下ろし。折も折、山の手事情社はテロリズムを企図する日本の非合法組織を描いた作品に取りくんでいる。舞台は、とあるマンションの一室。登場するのは、計画実施を間近に控えた組織のメンバーたち。一般市民に偽装した構成員の部屋で、計画の最終段階の詰めがおこなわれている。その中で血気盛んなメンバーが、計画に疑問をいだいている先輩になげかけるのが上の言葉だ。本番は10月20日から。先端の演出を是非見に来てほしい。
テロリズムとは、「政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義。」と広辞苑にある。政治はつきつめれば、ユートピア、理想社会を語ることだとボクは考える。今回の一連のできごとは、アメリカをはじめとする国々が標榜する自由主義と、タリバンらの集団が唱えるイスラム原理主義の理想をめぐる闘いというふうにとらえることもできるだろう。しかし、どちらかといえば、人類にユートピアの共有が果して可能なのかという問題に思える。共有が無理ならば、棲み分けの方法やシステムを模索しない限り、問題の本質的な解決には至らない。多くの指摘のように復讐は復讐を呼ぶ。
半分冗談ではあるが、今話題の「狂牛病」を牛のテロと考えてみる。牛に政治思想はないからテロという言葉は当たらない。しかし、私たちは社会を維持する上で生じるさまざまなストレスを、意識的であれ無意識的であれ、弱者に押しやっている。それが蓄積され、破綻した時に、テロや「狂牛病」が発生しているとは考えられないだろうか。成長を促進するからといって、草食の牛に肉骨粉というエサを与える。共食いである。アフガニスタンにはすでに360万の難民がいるという。今回のテロは許せないが、それでも犠牲者の数からいえば、途上国の内戦や飢餓による死亡者には遠く及ばない。
ユートピア共有というテーマは古くて新しい。その視点から見れば、ギリシア悲劇にも能の謡曲にも繰り返し登場するモチーフであり、こうした闘いの空しさについては、舞台上ですでに幾度となく語られている。演劇がたたえている知性とは、このように、興奮した現実と一定の距離が取れる思考法でもあるとボクは感じている。
※ カルチャーポケット 2001年11-12月号 掲載
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【カルチャーポケット】
1999年8月から約5年半の間、大阪市文化振興事業実行委員会より発行されたフリーペーパー。通称c/p。