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劇評/Performance Reviews

[劇評]『テンペスト』大島久雄

山の手事情社 『テンペスト』 
東京芸術劇場シアター・イースト 2015年1月15日

 日本にて「海の変化」(II.2.400)を遂げた『テンペスト』は、日本の伝統的な文化や歴史、特に伝統演劇とインターカルチュラル・インターテクスチュアルに融合してユニークなアフターライフ(受容)を築いてきた。そのことは、蜷川幸雄演出『テンペスト』(1987)、文楽スタイルの『天変斯止嵐后晴』(1992)、能舞台での栗田芳宏演出『テンペスト』(2009)がよく示している。[1] しかしながら現代日本も、多様な現在の社会的関心や演出家の独創的なコンセプトや舞台設計を反映して新たな『テンペスト』演出を生み出しつつある。2014年はシェイクスピア誕生450年にあたり日本の主要な劇団はそれぞれ独自の様式でシェイクスピア劇を上演し、『テンペスト』もその例外ではなかった。[2] 2015年初頭、記念の年の熱気が残る中、東京の劇団である山の手事情社は、主人公の記憶と精神に焦点をあてた極めて現代的な『テンペスト』を上演した。伝統的な和解と再生のすがすがしい幸福な結末を拒否し、休憩無しの90分で上演された安田雅弘演出の翻案劇は、真の許しに到達できない男の物語である[伝統的な作品解釈では、プロスペローは、摂理に従い、敵を懲らしめた後、最終的には敵と和解して許し、若い世代に未来を託して再生をもたらす賢者と見なされている]。

 俳優達のグループダンスで表現される最初の難破の場面は、劇団のユニークな演技法「山の手メソッド」により訓練された舞踏パフォーマンスの典型例である。[3] 役者の身体性の重視や演出家主導の現代的なコンセプト構築は、安田が師と仰ぐ鈴木忠志と共通するものがある。実際、正式には1984年設立のこの劇団は、「早稲田大学の学生劇団を起点とする」が、早稲田大学は、「鈴木忠志のSCOTや多くの他の主要な日本の劇団が誕生した場所」である。[4] 現在は、日本における代表的な「実験劇団」のひとつとして、山の手事情社は、海外でも高い評価を獲得し、シビウ国際演劇祭での『タイタス・アンドロニカス』(2009)や『オイディプス王』(2010)はその例である。

 公演プログラムにおいて安田は、予定調和の物語としての伝統的『テンペスト』解釈には満足できなかったと述べている。代わりに彼の演出では、現代的な不安や恐怖が舞台に充満することになる。主要登場人物が思い出したり、恐れたりすることは、台詞として表現されるだけではなく、魔法の島の物真似好きの妖精達によって視覚的にも表現される。妖精達は、猿のように飛び跳ね、人間とは全く別な存在であり、人間的な価値や感情を見下し、それらに軽蔑的な嘲笑を発する。シェイクスピア劇にも内包されている暗黒面を強調して、安田は、象徴的な人物を付け加えた。手と足を縛られて、舞台右手のベットに横たわってうめき、身をよじる苦悶の男である。[5] この苦悶の男がほとんど常に我々の視界に入るので、舞台上の物語は、ある意味でこの男の悪夢のようにも思われてくる。2011年3月11日福島での大津浪と原発災害以降、日本の安全神話は崩壊し、悪夢を日々の現実にしてしまった。苦悶する男は、上演当時、連日報道されていた、テロリスト・グループISに捕らえられ、後に殺害されていることが判明した二人のジャーナリストのことを私に思わせた。安田の演出は、不安と恐怖に圧迫され、決して許すことができないことに日々直面している我々の現代社会に正に相応しい。

 悪夢のようなブラック・コメディのように顔を白く塗り、様式的な所作と発声で演じる登場人物達は、カリカチュアの操り人形のように見える。嵐の場面の後、プロスペローは、ミランダのスカートに頭を入れて登場する。眼鏡をかけたパンク調の少女は、父親から奇妙な教育を受けたようである。彼女は、後にファーディナンドにも同じことを許し、彼女の礼節を示す。ジュリー・テイモアは、2011年の映画において女性主人公プロスペラで我々を驚かしたが、安田は、ナポリ王を王妃ジョバンナに変更し、母と息子の間の所謂「マザー・コンプレックス」的な関係を強調した。

 プロスペローの本が多様な小道具として巧みに使用されている。登場人物が本を開くと、そこには「剱」のような漢字やその絵がページに書いてある。ファーディナンドは、このような本の剱でプロスペローと戦おうとするが無駄であり、後に何冊もの本の「薪」を運ぶことになる。キャリバンは、本の「酒」を飲み、酔っぱらう。このようにこの島のあらゆる物が、プロスペローの魔法によって生み出されていることをこれは示しているように思われた。若い二人のためのプロスペローの仮面劇は、不安と恐怖の脱構築的なファンタスマゴリア(夢幻劇)となる。プロスペローの命令に従い、エアリエルと妖精達が軍隊として登場して、殺戮の戦場のシーンを演じ、犠牲者は喉をかき切られ、女性達は陵辱される。妖精達は、プロスペローが恐れ、許せないことを実演する。ジョバンナは暗殺され、プロスペローとミランダは残忍に追放される。プロスペローは、キャリバンの一味に襲われ、なんとエアリエルによって剱で刺し殺される。このグロテクスな恐怖の見世物は、劇の最後で死へとつながるプロスペローの精神的崩壊を現しているようだ。

 この悪夢のような幻覚から半分覚醒し、プロスペローは棺桶に座り、有名なあの台詞を語る。「我々の余興はもう終りだ…」(IV.1.148-58)であるが、ハムレットの名台詞「死は眠りだ。しかし眠ればたぶん夢を見る」(III.1.64-5)もそこに挿入される。異なるシェイクスピア劇の言葉をコラージュすることは、観客の記憶の中でそれらを語る登場人物や語られる状況と密接に関係しているのでやや危険を伴うが、今回の場合は、演出家のコンセプトやドラマツルギーの一部として自然に響いていた。最終的には、プロスペローは、敵を許し、和解するが、心底からのものではない。何故なら苦悩する者の絶望的なうめき声を観客はまた耳にするからである。山口百恵の郷愁を誘う流行歌「いい日旅立ち」(1978)が背景に流れ、プロスペローはエアリエルを解放するが、安田の翻案は、幸せな帰郷の航海への出発には終わらない。エピローグの最中にプロスペローは発作を起こし、妖精が指揮するシンプルな死の伴奏の終結音が示すように、唐突に死んでしまうのである。

 結論すると、安田は、古典的な摂理の筋書きと演出家としての脱構築的な見解との間で極めて難しい平衡を達成し、原作に内在するダークな側面を強調する事によって上演に現代的意味を強く与えている。より若手の世代の演出家達が、これまでの巨匠達に挑戦し、シェイクスピアに「すばらしい新世界」(V.1.183)を見出しつつある。2016年は、シェイクスピア没後400年になるが、どのような新たな現代的なシェイクスピア上演が日本に登場するのか大いなる期待とともに待ち望まれる。

The Tempest

「お互い惹かれあっているな…」(I.2.450-52)。山の手事情社『テンペスト』におけるファーディナンド(川村 岳)、プロスペロー(山本芳郎)、ミランダ(倉品淳子)、エアリエル(浦 弘毅)。平松俊之撮影。山の手事情社提供。

脚注
[1]. 大島久雄、「『テンペスト』と日本の演劇伝統:能、歌舞伎、文楽」、トビアス・デリング、ヴァージニア・メイソン・ボーン編、『批評・文化的変容:シェイクスピア作「テンペスト」-1611年から現在まで』(チュービンゲン:ナール・フェルラーク, 2013), pp. 149-72. シェイクスピア劇からの引用はすべてピーター・アレクサンダー編『ウィリアム・シェイクスピア全集』(ロンドン:コリンズ, 1951; 再版1988).

[2]. 東京の新国立劇場は、中劇場にて白井晃演出『テンペスト』を上演した(5月15日〜6月1日)。記憶の荷物が集積した物流倉庫としてのプロスペローの島や車椅子のエアリエル等という現代的舞台デザインにも関わらず、白井が目指したのは、そのウェブサイトで公表されているように古典的な「シェイクスピアが最終的にたどり着いた人間性の賛美」である[http://www.nntt.jac.go.jp/play/tempest/ 2015年9月15日アクセス]。

[3]. 公演の短いハイライト映像を以下のアドレスで見ることができる[https://youtu.be/7eLHRLuUufk 2015年9月14日アクセス]。山の手事情社『ロミオとジュリエット』(2008)、『タイタス・アンドロニカス』(2010)、『トロイラスとクレシダ』(2012)、『テンペスト』(2015)、その他、は劇団から購入することができる。

[4]. 『山の手事情社 1984 〜』(東京:山の手事情社, 2004), p. 2. 劇団や「山の手メソッド」に関する詳しい情報は、この劇団20周年記念パンフレットや情報満載のウェブサイトを参照せよ[https://www.yamanote-j.org/ 2015年9月14日アクセス]。山の手事情社シェイクスピア上演に関する学術的な論文としては、エグリントンみか、‘Performing Constraint through Yojohan: Yamanote Jijosha’s Titus Andronicus’ (四畳半の演技の制約:山の手事情社の『タイタス・アンドロニカス』)、Shakespeare Studies,(日本), volume 49 (2011), 12-28.

[5].本橋哲也は、呻く男に関するポストコロニアリズム批評的解釈を批評サイトTheatre Artsの「醒めない悪夢、書記言語という反復、あるいはバミューダ・トライアングル-劇団山の手事情社『テンペスト』劇評」において示している[http://theatrearts.aict-iatc.jp/201501/2510/ 2015年11月10日アクセス]。

 

出典:日本シェイクスピア協会(許諾済み)Shakespeare Studies, volume 53, pp. 75-78.

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