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安田雅弘演出ノート

オドラデク/2020.4

そつがない人vsオドラデク/安田雅弘(監修)

 初めは遠くから眺めていた。研修生になったばかりのキミらの歓迎会が5月にあって、そこでちょっとだけ話をした。「まだ全然わからんな」という感じだった。
 その後、劇団は『methods』&『過妄女』という創立35周年記念の2本の芝居の製作に突入していく。というかキミらが入団したころにはすでに突入していた。稽古場の見学に来るのをちらほらと目にするようになったものの、ボクの方は怒涛のような稽古のさなかで、会話のチャンスはほとんどなかった。けれどもちゃんと台本を手に稽古に臨んでいるし、ちょっとした頼み事――道具の移動や片づけといった――も進んで引き受けてくれているのを見て、「そつがないな」と感じた。
 【そつがない:手ぬかりがない。抜け目がない。】
 そもそも「そつがない」というのは「そつ」が「ない」ことで、その「そつ」とは?
 【そつ:手落ち。手ぬかり。無駄。】
 つまり、まあ「プラスではないまでも、マイナスはないな」という感触だった。それはちょっと意外で、というのも例年研修生の中には「どんな育ち方をするとそんな具合になる?」「お前はガキか」と呆れるようなメンバーが一人くらいは紛れ込んでいるものなのだ。「今年はいないのか」と、自分でも妙だが少しさびしかった。
 6月の後半、『methods』&『過妄女』の本番が始まる。下北沢のザ・スズナリで、さすがに2週間ロビーや舞台袖で顔をつき合わせていると、徐々に距離が縮まってくる。細かな失敗や勘違い、お客さまの対応にあたふたする姿を目にするうち、キミらは「そつがない」のではなく、どうやら「そつなく見えるようにふるまっている」のだと気がついた。そして「そつがない」ふりをしているたたずまいを少し残酷で気の毒に感じた。本当に「そつがない」のであればそれはそれでいい。しかし、そうでないならば「知りませんできません」と開き直っていればいいのに、と思う。知らなくてもできなくても叱らないよ。わかってます、そんなこと。「知っていてできる」なら、研修生になぞならずに今すぐプロで活躍すればいい。開き直れないところにキミらの警戒があり、若者をそのように追い込んでいるわれわれが暮らす社会が透けて見えて、せつない気分になった。
 7月以降、キミらは本格的な訓練に入って行く。インストラクターの要求レベルも少しずつ高まっていく。報告では、彼女の期待が次々と裏切られていく様子が日々伝えられてくる。月に一回程度、ボクや他の劇団員が小発表を参観する機会もあって、回を追うごとにキミらが自信を失っていくのが見える。それぞれの心の中で「あれ、いままでとは違うぞ」という違和感や、「どうすればいいんだ、わからん」という混乱が広がっていくのが見受けられる。
 でもボクは逆に安心した。「そつなくこなそう」という、もしかしたら現代日本の若者に蔓延するインチキな余裕が、キミらの表情から消えていったからだ。ようやく「創作」というものの出発点に立った。キミらの中に発生した違和感や混乱はそのおののきなのである。世の中マニュアルや要領を手に入れれば渡って行ける、と今まで世間は無言でキミらを洗脳してきたのかもしれない。しかし、少なくとも芸術は、演劇は違う。
 舞台ではそんなものクソの役にも立たんぞ! 「そつなく」生きられると思ってるなら演劇なんかやるな! 「そつなく」振る舞うエネルギーなんか捨てちまえ! 全力でぶつかって、失敗する、へこむ、でもそれを繰り返す、そのうち何かほんのちょっと自分が本当に信じられるものが見えてくる! と思ったらそれも思い違いだ、甘ったれるな! それでも全力でぶつかるんだよ! それが嫌なら俳優でございとか言ってるんじゃねえよ! もちろんインストラクターである彼女は「!」のつくような物言いはしない。しかし、安部みはるがこの一年間やさしくそしてしつこくキミらに説いてきたのはそういうことなのである。
 結果、じわじわと見えて来たのが、キミらのオドラデクだった。カフカのこの小説に描かれていることをボクなりに解釈すれば、「自分の中に潜んでいる、自身も把握できていない自己の一部との遭遇」ということになる。人間は自分のことは自分が一番よく知っていると思い違いをしている。「よく知っている」と思っている人ほど自分をわかっていなかったりする。それが演劇にまつわる教養の最も中核にある「知」なのである。「人は自分を知らない」。また、その思い違いこそがいわゆるドラマというものを生む源泉でもある。従ってドラマを客観的に捉えて舞台で演じるために、演劇人は自分をできるだけ正確に把握することが求められる。キミらが一年間取り組み、安部みはるに指摘され続けてきたのは、ただひたすらそのことなのである。
 今後たとえ劇団を離れても、ある日「自分にはオドラデクなんてない」と感じることがあったら、用心したまえ。キミは「そつなく」生きることを選びつつあるのだ。創造的に生きるなら、オドラデクを予感したまえ。個性的に生きたいならオドラデクを求めたまえ。修了おめでとう。

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