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コラム

安田雅弘演出ノート

デカメロン・デッラ・コロナ/2023.3

ああ「悪夢」なんだ。

 コロナ禍は端的に言って「悪夢」であった。いや、今でも。幸いなことに罹患したわけでもなく、親しい人を失ったわけでもない。仕事はかなり無くなったが、それでも小規模な公演が結構あって、飲食業などで苦労されている方々に比べればかなり楽観的に暮らしていた。

 しかし、在宅時間が増え、ネットで本当だか嘘だかわからないさまざまな情報に触れる機会が増えた。うすうすは感づいてはいたものの、テレビや新聞などマスコミの情報が随分いい加減だと、時にはひどいなと考えるようになった。こんなものを信じていたのか。

 そうこうするうちに以前からあった中国の尖閣諸島周辺でのふるまい、台湾有事の可能性。ロシアのウクライナ侵攻。たび重なる北朝鮮のミサイル実験。安倍元首相の暗殺。値上げラッシュ。トルコの大地震……。何かわからない、不気味なものが自分たちに迫ってきているような不安感を抱くようになった。

 今回の芝居に本格的に取り組むようになった時、コロナ禍は――つまりコロナそのものではなく在宅時間に変貌した世界観は――私にとって「悪夢」なのだと確信するに至ったのである。

構成・演出 安田雅弘

【鑑賞の手引き】
 今回のようなタイプのお芝居を見慣れていないお客さまもいらっしゃると思いますので、内容について簡単にご説明をしようと思います。ネタバレの部分もございますので、ご注意ください。
 今回のようなお芝居を「構成演劇」と呼びます。一つの筋を追った物語を上演するのではなく、一見関係のなさそうな幾つかの要素を組み合わせて(構成して)、総体として一つの印象を描く手法のことです。絵画の「コラージュ」のようなものと考えていただいて構いません。
 『デカメロン・デッラ・コロナ』は大きく3つの要素から成り立っています。一つは『人類への提言』。鼎談の部分です。小林秀雄と岡潔による名対談『人間の建設』をヒントに作られたシーンです。もう一つは『デカメロン』。100個ある物語の中から、「第四日第五話」「第五日第八話」「第七日第九話」を選びアレンジしました。3つ目は『悪夢(吉夢)のつぶやき』という場面です。「悪夢(吉夢)」を文字にする意図で安田が書いたものです。
 それぞれ演出ノートにあるように「悪夢」がテーマになっています。
 『人間の建設』は60年近く前に行なわれた対談であるにもかかわらず、語られている課題は解決するどころかむしろ深刻さを増しているように思います。「生存競争をしているうちは人類の時代ではない」と劇中のセリフにありますが、「人類の時代」はむしろ遠のいているのではないでしょうか。安田はそれを「悪夢」ととらえたようです。
 『デカメロン』は今読んでも面白い話が多く含まれていますが、『デカメロン』の中にある現代性を安田は「悪夢」と考えたようです。文字通り「悪夢」が描かれているもの、内容が「悪夢」的なものは、実はそれほど多くはなく、その中から3つの話を選んだということです。
 『悪夢(吉夢)のつぶやき』はセリフとして書かれたものではないので、演劇的に成立させるために俳優はたいへん苦労したようです。それこそ「悪夢」と言えるかもしれません(笑)。
 上記以外にも、両側の『落下』で滑り落ちてくる人たちや、《ルパム》と呼ばれるダンスシーンもあります。これらは俳優による発案です。山の手事情社ではどの作品でも俳優による多くの場面提案が行なわれています。『落下』する人々はどういう人たちに見えますか? いろいろとご想像していただくのも演劇の愉しみの一つです。《ルパム》は在宅時間をテーマに作られたようです。俳優個々のくるくる変わる表情がポイントです。

劇団 山の手事情社 演出部

■ 構成表
『デカメロン・デッラ・コロナ』構成表

■ キャスト
『デカメロン・デッラ・コロナ』キャスト表

参考文献:『人間の建設』(小林秀雄・岡潔著 新潮文庫刊)、『デカメロン』【上】【中】【下】(ボッカッチョ著 平川祐弘訳 河出文庫刊)、『ときがたりデカメロン』(田辺聖子著 講談社文庫刊)、『春宵十話』(岡潔著 光文社文庫刊)、『ドストエフスキイの生活』(小林秀雄著 新潮文庫刊)、『神曲』地獄編・煉獄編・天国編(ダンテ著 平川祐弘訳 河出文庫刊)、『ルネサンス史』(西本晃二著 東京大学出版会刊)、『ルネサンスとは何であったのか』(塩野七生著 新潮文庫刊)、『語れるようになる西洋絵画のみかた』(岡部唱幸監修 成美堂出版刊)、『世界で一番素敵なルネサンスの教室』(祝田秀全監修 三才ブックス刊)、『新型コロナはアートをどう変えるか』(宮津大輔著 光文社新書刊)、『ペストの文化誌』(蔵持不三也著 朝日選書刊)、『イタリア・ルネサンスの世界』(アリソン・ブラウン著 石黒盛久・喜田いくみ訳 論創社刊)、『そのとき、西洋では』(宮下規久朗著 小学館刊)、『図説宗教改革』(森田安一著 河出書房新社刊)、『ローマ人の物語』(塩野七生著 新潮文庫刊)、『ペストの歴史』(宮崎揚弘著 山川出版社刊)、『キリスト教の真実』(竹下節子著 ちくま新書刊)、『ルネサンス料理の饗宴』(デイヴ・デ・ウィット著 須川綾子・富岡由美訳 原書房刊)、『ビジュアル図鑑 中世ヨーロッパ』(新星出版社編集部編 新星出版社刊)、『中世ヨーロッパの商人』(菊地雄太著 河出書房新社刊)、『磁力と重力の発見 2.ルネサンス』(山本義隆著 みすず書房刊)

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