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コラム

演劇知の生涯教育

わが国の生涯教育

安田雅弘(2000:演劇人)

今回、生涯教育との関連の中で演劇的知について考えようと思っている。演劇の定義もさることながら、「生涯教育」というものの社会的な役割については、現在過渡的状況にあり、具体的な要件となると漠然としていたり、模索中であるというのが実態だと感じる。詳細は専門書に譲るとして、私なりに概観すると以下のようになる。 教育の目的とは、生活実践の中における能力形成、いいかえれば、日々の生活のなかで、自分で必要な情報を集め、それを分析、取捨選択をしつつ生活の要求に対応すると同時に、対自然、自己を含んだ対他者関係を変えていこうとすること、と考えることができる。

しかし、そうした目的の中に含まれていた「自己教育」の要素が、近代学校の成立・整備につれて、いわば背景に退き、裏面に隠れていった。その反省から、「誕生から死にいたるまでの人間の一生を通じて行われる教育の過程――そのゆえに全体として統合的であることが必要な教育の過程――をつくり活動させる原理として生涯教育という構想」が浮上してくる(一九六五年ユネスコ成人教育の責任者ポール・ラングランの提案の一部)。いわばそれが「生涯教育」概念誕生のいきさつである。 わが国では、明治大正期に「通俗教育」という言葉が公用語として用いられ、社会教育活動が行なわれていた。図書館、博物館のような社会教育施設は含まれておらず、国民善導的な教化色の強いものであった。大正年間に「通俗教育」は「社会教育」という公用語に置き換えられる。戦前には国の政策を国民各層に浸透させることが主目的になるものの、戦後改革によって、成人教育、社会人の教育という現在の概念に近づく。 一九六五年一二月、ユネスコの第三回成人教育委員会は、変動する現代社会に対応する教育観として「生涯教育」を打ち出す(前掲の提案)。旧来のように教育を家庭教育、学校教育、社会教育とばらばらに考えるのではなく、実社会と遊離しがちな学校教育を社会に結び付いたものにするとともに、社会の諸制度を教育的に整備しつつ、両者のもつ教育的機能・作用を、人間の発達・成熟の過程・段階に応じて統合し、教育の組織化を進めるべきであるとする教育観である。

一九七一年に社会教育審議会が、「生涯教育に関する答申」を提出したのを受けて全国的な関心を呼び、ラジオ・テレビ等のメディアの利用や、オープン・カレッジなど大学の社会化が始まる。一九八一年に中教審(中央教育審議会)「生涯教育について」の答申、さらに一九八〇年代、臨教審(臨時教育審議会)がその答申で、生涯教育体系への移行を基本にすえた教育改革論を展開し、生涯教育論は二十一世紀に向けての公教育政策の基本理念になる。一九八八年、文部省は社会教育局を廃止し、新たに生涯教育局を設置する。一九九〇年には、中教審の「生涯学習の基本整備について」の答申に基づいて「生涯学習法」が制定され、また、一九九二年には、生涯学習審議会の答申「今後の社会の動向に対応した生涯学習の振興方策について」が提出される。それらの過程で生涯教育は社会の中でより積極的かつ具体的な広がりを持って来たといえるだろう。

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