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コラム

安田雅弘演出ノート

平成・円朝・牡丹燈籠/2001.6

安田雅弘(2001.4)

「牡丹燈籠」は三遊亭円朝(1839-1900)23歳ころの創作落語で、幕末の寺田屋騒動、生麦事件の時期にあたる。明治17(1884)年、速記が発行され、講談・落語などの速記刊行の嚆矢となった。舞台化はそれがきっかけと考えられる。初演は一部上演なども含め諸説考えられるものの、明治25年福地桜痴が補綴、3世河竹新七が脚色した歌舞伎を代表としていいように思う。その後新劇、人形劇、映画、テレビ、意外なところではポルノ映画にまでなっている。多少のバリエーションはあるが、お露・新三郎の幽霊、伴蔵・お峰の夫婦のエピソードが中心で、本来の軸である平左衛門・孝助の敵討の話ははずされている。

今回の上演に当たって、私は円朝の原作を極力忠実に舞台化したいと考えた。先人たちもそれぞれの時代の要請に応じて「忠実」に舞台化してきたはずで、それに敬意を払いつつも、平左衛門・孝助の話も含めた全体を舞台化する必要があると感じた。というのも、原作はテレビの連続ドラマのように毎日高座にかけ10日近くかけて話したかなり複雑で長い物語である。連日客席の興味を持続させるための工夫と、登場人物の配置も含めた構成力には瞠目すべきものがある。これほどの作家を持てたことに日本人として誇りを感じる。また、落語原作を舞台化するという意味もある。落語はその手法独特の軽妙さから次々と場面を変えられる。先人が舞台化に当たって苦心したのもそこだと思われるが、それを克服したかった。さらに原作の随所に満ちている日本的な美学こそ、私たち現代人にとって最も意味のあるものだと感じた。その場合、エピソードの選択はあまり意味をなさない。演劇は人間という生き物の抱える矛盾や存在の混沌に迫るのに適していると私は思う。キャラクター個々にひそむエネルギーと同時に、江戸社会がたたえていたであろう豊潤な活気にも接近したいと思い、あえて、全編の一挙上演という無謀にも近い作業に挑むことにした。

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