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安田雅弘演出ノート

Fairy Tale/2001.10

安田雅弘(2001.10)

『FairyTale』を作りながら考えたこと

テロとは、「政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為」とある。政治は、つきつめれば、ユートピアを語ることだと思う。同時多発テロ以来の一連のできごとは、自由主義と、イスラム原理主義の理想をめぐる闘いととらえることもできる。が、どちらかといえば、人類にユートピアの共有が可能なのかという課題に思える。共有が無理ならば、棲み分けの方法やシステムを模索しなければならない。

半分冗談で、話題の「狂牛病」を牛のテロと考えてみる。私たちは社会を維持する上で生じるさまざまなストレスを、たとえ無意識であれ、弱者に押しやっている。それが蓄積され、破綻した時に、テロや「狂牛病」が発生するとは考えられないだろうか。アフリカでは毎日、ニューヨークの犠牲者と同じ6000人の人が死んでいる。肉骨粉は悲しい共食いである。

それを持つべきかどうか、また持つ能力があるのかどうかも含め、おそらく今問われているのは日本人のユートピア観ではないだろうか。解答を出すのではなく、作品ごしにその問題を見つめることが演劇の役割なのではないかと私は考えている。

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